この言葉、いわば完全否定をするときに用いる。
そして、云われると少し凹む。
私は、な~んにも無駄はないなぁ―と思ってしまう。
遠回りした分、見る景色がある。知る心がある。
普段、喧嘩してしまうときにも、その時はイヤな気持ちで哀しいけど、相手の何かが見えてくる。それを許す自分が誇らしくなる。それほど愛しているんだ、と確認してしまう。
例え、それが同じ事で生まれた喧嘩でも。繰り返し、繰り返し・・・。 それから思う。
愛すべき人なのだから、全力でぶつかった結果なんだと。
遠回りしない人生は、きっと少し、何が大切か分からなくなったり、何かを見失ってしまうんじゃないか、と。
だから、『無駄』という言葉は寂しくもある。
楽しいことばかりじゃない。
苦しむことだっていっぱいある。
だからこそ、誰かを大切に出来る日常に気づけるとき、その『無駄』と云われる事にこそ発見があると思いたい。