活休後、しばらくはぼーっとなり

その後、メンバーMCのレギュラー枠の中、

テレビで大野さんだけ姿が見えないことで、

急激に

「これが活休なんだ」という実感があった。

どうやって日々生きていこうかと思ったが、

幸いなことに、やるべきオシゴトや

オウチゴトがあった。

でも、やってるとストレスになることもあり、

いかに今まで嵐さんに癒されていたかを

再認識。

 

やっと最近、通勤の車の中で

嵐さんの楽曲を聴けるようになってきた。

つい最近までは、聴くと辛くなりそうで

敢えて聴かないでいた。

 

やはり、嵐さん達が残してくれた

数々の作品を

活休中にも鑑賞し続けることが

現状を何とかするための

自分にとって一番の薬かなと思った。

 

改めて聴くと

ファンに残そうとしてくれてた歌詞が

胸に刺さる。

 

20201231の

大野さんの挨拶から思ったこと

考えたことの続きを書きます。

 

本当に、大野さんの気持ちが

よく分かる(気がする)挨拶だったし、

立場は全く違うのに、共感できる挨拶だった。

 

ギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザギザ

 

人に良くしてもらったら

 ありがとうと言う。

 人のことをまず考えて行動する。 

 簡単なようだけど、

 なかなかできることじゃない。」

 

4人の素晴らしさを語ったときの言葉だけど

大野さんからもらった名言、また増えた。

他人に対しては

今までもできるだけやってたつもりだけど

これからも、これを心に刻んで

家族などの身近な人に対しても

この簡単そうでなかなかできないことを

心がけていこうと思った。

 

 

「明日からは、

 少し自分のことを考えて

 自分の時間を大切にして

 生きていく」

 

私も全く同じ思いになった。

 

まずは、

「大野さん、今まで嵐でいてくれて

 自分のことよりファンのこと、

 嵐でいることを優先してくれてありがとう」

という思いが先にたつ。

 

そして、自分にも思い当たることがありすぎた。

 

 

卒嵐を意識し出した昨年の1月、

敢えて録画番組を見ないという

活休の予行練習みたいなことを

やっていた。

 

休みの日には

元々好きだった音楽や読書、

編み物や手芸などの物づくり、

家の掃除などをして

静かな時間に戻ることにしたいなあ

とか

 

今まで嵐さんに向けていた分の意識を

もっと自分の家族や

身近な周りの人に向けて

もうちょっと丁寧に接したりしたいなあ

と思っていた。

 

雑誌やCD、DVDの購入や

番組の録画に追われたりとか

 

数少ないライブ遠征で見聞きした、

会場の色とりどりのライトの波、

きらびやかなステージ、

キレキレのダンスと

大きな音で鳴る楽曲の中

大野さんの美しい歌声とか

会場のみんなの歓声とか

 

賑やかな都会の空気とか、

自宅と違うだけでちょっと贅沢な気分の

短いホテル滞在の時間とか

 

華やかで忙しく楽しい生活は

今年から一変するんだろう。

 

嵐さんに出会わずに

普通に生きてたら、絶対縁のない

東京ドームや国立競技場や六本木、

札幌ドームにも長野Mウェーブにも

嵐さんに連れて行ってもらった。

 

あの華やかな世界も良かった。

とっても楽しかった。

知らない世界をたくさん見せてもらった。

 

でもやっぱり夢の世界で

もう、現実の世界に戻るときが来たのかな

とも思うし

 

夢の世界が

もう懐かしいなと思うこともある。


たぶん、大野さんの今の思いと

重なる部分もあるかもしれない。

そうであってほしいと思う部分もある。

 

嵐さん、今まで忙し過ぎたんだよね。

そして、国民的な立場に立っちゃって

大きくなりすぎて、

重責を担いすぎていたんだよね。

 

だから

ゆっくり休んでほしい。

体も心も休めて、のんびりしたり

好きなことにいっぱい時間を使ってほしい。

 

大切に、丁寧に、

大野さんらしく生きていってほしい。

私も、私らしく生きる。