※昨日から小分けにあげようとしていた
「大野さんの挨拶」についての記事については
いくら弱小ブログとはいえ、やはり
ネタバレも含むため、追記して
リピート配信後にあげようと思います。
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朝、WSで嵐さんの曲が流れ、
休みたいな~と思いながらやっていた
出勤前の支度が少しはかどる気持ちになる。
この感じが
少し前までは普通にあったのに
ものすごく懐かしく感じる。
朝から嵐さん、大野さんの顔を見れると
それだけでうれしい。
あたりまえにあったものが
あたりまえでなくなったときに
有り難さを感じる。
スーパーに行って、雑誌売り場を
遠目に見て、
男性が複数いる表紙だとハッとする。
でもよく見ると、それは嵐さんとは違う人達。
今日は各テレビ誌発売の水曜日。
年末から年始にかけて
雑誌コーナーに行きあたると
時々見ていたけど、
1月になってから
きれいにお正月特大号を見かけなくなり
通常号が並んで
嵐さんの表紙が
一斉に無くなったように感じた。
1月になって活休したのに
いつまでもその姿が見れちゃうと
あれだけの命がけの会見が
何か違うものになっちゃうような気がして
ファンの子たちが街に出た時に
何かの表紙に自分たちの姿を見て
必死に涙を抑えたり
悲しい思い、寂しい思い、切ない思いを
したりしないようにと
ギリギリの号でなく
お正月特大号を最後にしたんだね。
子どもの願いのようなことを
思うんだけど
あながち
間違いでもない気がするんだよなあ…