記事のタイトルの
「One for All, All for One」は,
学生時代,よく学級目標を決めるときに
出てきた言葉で,なじみがあって,
嵐ファンの私にとっては,
最近の曲「BRAVE」にも出てきた言葉。
その言葉の発祥はラグビーで,
その精神を具現化したような
ドキュメンタリ番組から,
今日はいろいろ考えさせられた。
木曜レギュラーはリアタイできなく,
終わったころに帰宅して,
遅い夕食を食べながらテレビを見始めたら
後続の番組で,「慶応大学ラグビー部の
仲間の絆」の内容をやっていた。
ラグビーが大好きで,毎日ストイックに練習し,
時に仲間に辛辣な態度をとっていた,
将来有望な大学1年生の杉田さんが,
夏合宿の試合中に脊髄損傷となる。
目覚めた杉田さんは,自分の容体よりも,
「試合途中に退場してすみません」と
お見舞いに来ていた監督に謝ったと言う。
人間が,ケガや病気や障がいなど,
自分ではどうにもならないことを受け止める
までの心理には,いくつかの段階があるらしい。
1.感情が事実を認めようとしない【否認】
2.「どうして自分がこんなことになるのか」
という【怒り】
3.神仏に「態度を改めるから治してほしい」
とすがる【取引】
4.回避ができないと悟る【抑うつ】
5.ケガや病気,障がいを自分の一部と考え
よりよく生きようとする【受容】
この方もこの段階のなかで,
荒れたり周りにあたったりするが,
ストイックな方のようで,あきらめずに努力し,
首から下のまひの状態から,
杖をついて歩けるまでになる。
でもラグビーをプレイできる状態ではなく,
ラグビーを大好きだからこそ辛くて,
ラグビー部や部員の仲間たちから遠ざかる。
卒業の年,杉田さんと最後の早慶戦を戦いたいと
願う部員たちの,必死の繰り返しの働きかけで,
ケガしたばかりのころにもらったまま,
見ないでしまい込んでいた
監督や部員の仲間たちからの
手紙を読もうという気持ちになり,
ラグビーが好きで,仲間が大事で,
一緒にやっていきたいという気持ちを思い出した。
監督や仲間も,杉田さんのことを
「ケガしたから」「離れたから」と見捨てることなく,
むしろ,練習中の辛い時こそ,
頑張っている杉田さんの名前を出して,
自分たちも頑張ろうとしていた。
手紙を読んだ杉田さんは,監督や仲間の思いを
知って,ラグビー部に復帰。
体にはまひが残っているから,プレーはできない。
きっと,ものすごい葛藤があったことだろう。
でも,その葛藤を乗り越えて,
杉田さんは
「ラグビーができなくても,自分のできることで,
何かの形で貢献したい」
と,4年生最後の試合に向けて,
14人のスタメンへ,モチベーションVTRを作成。
ベンチ入りの4年生からもメッセージをもらって,
VTRに取り入れる。
試合に出られない,ある4年生の言葉。
「120%の力でがんばってほしい。
20%はベンチから俺らが送るから。」
VTRを見ていたゲストの方が,
「ラグビーは,自分がボールを持ってないときでも,
ボールを持っている選手が良い状態で
ボールを運べるように考えて動く。
常に周りの選手のためを考えて動くスポーツだ」
と言っていた。
これが,ラグビーの
「One for all, All for one」の精神なんだな。
どんなスポーツでもそうなのかもしれないし,
スポーツだけでなく,他の分野でも
この精神に倣えば,
こういう絆って作れるのかもしれないと
いい意味で思わされた。
例えば,チームで働いている自分にも。
杉田さんがケガした当時の夏合宿では,
その試合の後,富士登山も予定されてた
けど,もちろん延期。
この番組の後半では,
ケガした当初約束していた「富士登山登頂」を,
困難を乗り越えながら果たしていた。
嵐ファンの私は
「One for All, All for One」に付随する様々な思いを
ジブンゴトに置き換えて考えた後,
どうしてもアラシゴトに置き換えて考えてしまう。
慶応大学ラグビー部111代の部員の方たちは,
杉田さんがいなくても,
杉田さんを精神的支柱にして頑張ってきたし,
杉田さんも最終的には
ラグビーが大好きな気持ちや,
監督や仲間との絆,ラグビー部そのものを
大事にしていたときの気持ちを取り戻していた。
こういう事象やこういう思いは,
きっと共通して
人間だれしも心の中にあるはず。