ホントに全くのワタクシゴトであり、

ヨシナシゴトです。

 

 

 

今の仕事に就いて、

20年以上たちました。

 

私は東北で学生をしていました。

卒業する年の夏、

中学生のころから漠然と

「なりたいなー」と思っていた職業の

試験を受け、不合格。

もうその夢はあきらめて就活し、

首都圏の幼稚園事務に

就職が決まっていました。

事務職で働きながら、

勉強して幼稚園教諭の免許を

取ろうなんて考えていました。

しかし卒業間近に、

試験は不合格だけど

臨時で働いてみないかという

知らせが届きました。

迷いました。

家族は首都圏に行くことを

あまりよく思ってなかったので、

地元で臨時で働く方へ賛成。

先輩や友達に相談するけど、

自分で決めたほうがいいとの

アドバイス。

(そりゃそーだ。私もそう言う。)

自分のゼミの先生は、

今から思うと

30代後半~40代くらいの男性で、

相談にはいけなそうな感じの先生。

でも自分では決められず、

同じ科だけど違うゼミの先生

(退官間近の

  親しみやすい感じの先生)

のところへ相談に行きました。

(小さな学校だったので、

  同じ科にはその二人しか

  先生がいませんでした)

 

その先生は、昔からずっと夢だった、

臨時雇用のほうの道を

勧めてくださいました。

その時私は、

「漠然とした今のような気持ちで

 就職して、

 自分とかかわる人たちに

 申し訳ないかもしれない。

 自分がそんな気持ちで

 (その道へ行って)いいんだろうか」

というようなことを尋ねました。

すると、いつもにこにこしていて

親しみやすい感じのその先生は、

「そんなのはあなたの

  おごり高ぶりだ。」

とおっしゃいました。

その時は、

その言葉の意味が分かりませんでした。

その先生のキャラでは珍しく

厳しいお言葉だったので、

とても驚き、ちょっと傷つき、

どういう意味なのかも

尋ねられないまま、

先生のもとを辞しました。

その後、自分の中で

どういう考えの変化が起こったのかも

覚えていないのですが、

結局臨時雇用の道へ進み、

再度試験を受け、正式に雇用され、

地元でなんとか現在もその職に

(しがみ?)就いています。

 

 

仕事できつい時とか、

家庭のことで悩む時、

この人生の岐路をいつも思い出します。

前後のことは詳しく覚えていないのに、

先生のその言葉だけは、

今でも覚えています。

 

ずっと、

この言葉の意味が分からなかった。

自分はあの時

おごり高ぶっていたんだろうか、

今もおごり高ぶっているのだろうか

と、振り返ることも多くしました。

何度振り返り、

この言葉を思い出しても、

先生の言葉の意味が分からなかった。

 

この前、

またふとこの言葉を思い出したときに、

漠然とでしかないけど、

何となく意味が分かりました。

 

私は、仕事って,

任された以上は自分で責任を

もってやることだと思っていました。

自分がやるべきことを人に頼んだり、

やってもらったりすることは、

人に迷惑をかけることだと

思い込んでいました。

(今でもその癖は抜けず。)

自分のように漠然とした気持ちを

もった人間がその道に進む

(仕事に携わる)ことで、

私とかかわる人が迷惑を

被るのではないかと、

あの頃の自分は思っていたのです。

 

就職して何年もたち、

周りの方の助けをいただきながら、

なんとかやれている日々を過ごして、

今ならこう思えます。

私が誰かとかかわったことによって、

誰かに強く影響することなど何もない。

自分がやるべき任された仕事は、

自分にしかできない仕事ではない。

むしろ、周りと協力した方が

うまくいくことのほうが多い。

それは,

周りの人にとっては

決して迷惑ではなく、

周りの人にとっても自分にも、

うれしいことであることが多い。

(逆の立場なら,自分が頼られて

  何らかの役に立ててうれしいと

  思うはず。)

 

先生は、私が

「自分にしかできない仕事」とか

「自分が周りに与える影響力」とか

無意識のうちにしょい込んでいる点を

「おごり高ぶり」と

表現していたんですね。

 

いや、それが良いとか悪いとか

そういう話ではなく、

自分でしょい込んで

責任もって仕事することも

大事だし必要なこともあるけどね。

 

なんか自分の中でスッキリし、

覚えておきたくて、ここに書きました。

全くのヨシナシゴトです。