星占い師の占いレポート 2022 ~コーヒータイム その29~ 星占い師 | ねこの硬派な星占いレポート ホームページhttps://nco1227.jp/

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占いは恋愛が多いですが、企業や社会の事を占っています。星占いは気象を見るのが基本なので気象も大雑把なものになりますが見ていこうと思っています。ホームページを開設しました。ホームページアドレスは https://nco1227.jp/ です。80%も当てられませんが頑張ります。

今回もちょっとコーヒータイムです。コーヒータイムが多すぎると言われそうですが、少しだけお付き合いください。

 

お知らせです。

パソコンで占いの仕事をしています。

個人の悩み事や相談事は初回の方は半額の2.500円(2千5百円)。

企業や国の事、気象(天気)の占いの方は初回が半額の5.000円(5千円)です。

占いの支払い方法はコンビニ決済と銀行振り込みと選べるようにしました。

よろしければご利用ください。

問い合わせのコーナーを作りました。占いについての問い合わせや質問はメールで無料で随時受け付けています。尚、電話の問い合わせは現在は受け付けていません。

詳しくはホームページをご覧ください。

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私が占いに本格的に興味を持ったのは高校時代でした。最初は雑誌に載っている今月の運勢からでしたが、そのうちに少し本格的な本を読むようになりました。最初はやはり西洋占星術、そして手相や四柱推命なども勉強しました。タロットもやりましたが、当たる時と当たらないときがあり、タロットは向き不向きがある占いだと思い、私は止めました。私個人を占うのには良いのですが、他人を占う時にはそれなりの責任があります。もちろん遊びでやっているなら別にいいのですが、相手が真剣な答えを求めている時に不安定なものはどうだろうと思い止めました。それとタロットの怖さは答えに現実の方が引きずられるところがあります。良い結果なら良いのですが、悪い結果が出て、それに現実が引きずられるのは嫌でした。

 

手相や四柱推命はかなり専門的な本を読みましたが、結局は西洋占星術を選びました。理由は手相や四柱推命は個人しか見えないからです。対象がどうしても人間相手の占いだからです。

 

私の父は私が占いの勉強をするのをひどく嫌いました。理由は占いは詐欺だからだそうです。占い師になりたいというと、父だけではなく、叔母たちも猛反対しました。占いはヤクザの仕事だと言われました。

 

父や叔母を占って、占いは当たるのだと証明しようとしましたが、父は少しは当たっていても、それがどうした。統計で少しは誰がやっても当たるものだ。と言い、占いはまともな仕事ではないと反対されました。

 

その反対を押し切るためには個人を見ていても当たっているかどうか言われない限り分からない場合があり、だれが見ても当たっているのが分かるのは社会占星術がある星占いだけでした。

 

社会占星術は国家や企業を占ったり、気象を占ったりするものなのですが、通信教育で勉強していた星占いの教室でも基礎しか教えていませんでした。特に気象の分野は他の占いに比べてほんの少ししか情報がありませんでした。それだけ気象を占う人が少なく、情報も少ない分野でした。少しの基礎情報を基に私は7年独学で星占いで気象を占う方法を研究しました。なんせ気象は一年間で一度しか占えないのです。春、夏、秋、冬、季節によって気象は違います。そして基礎で習った時は東京が中心でしたが、気象は東京だけではダメなことを知りました。日本は細長い国なので、補助として西日本や北海道、沖縄などの図が最低でも必要であることに気づきました。それでも最低なのです。もっと詳しく調べようとしたら日本の都道府県すべてを調べないとダメなのですが、さすがに私一人では無理です。その上に日本の誕生日や首相の生年月日(責任者として絶対に関わる人)が必要なので、見るものばかりになります。それでも気象はごまかせません。当たり外れが誰の目にもはっきりわかるものです。気象を当てることが出来ればそれは当たるものだという証明になります。

 

どの星座に星がある時に何が起こっているのか色々勉強しましたが、はっきり言えばまだまだ分からないことが多いのが現実です。

 

それでも星の位置が分かっていればかなり早くから気象が見えるというのは星占いで気象を見る最大の利点だと思うのです。どうしても大雑把になりますが…。もっと偏見を持たずに社会的に受け入れられても良いと思っています。

 

結局は父が元気な時は趣味で占いをやるのはいいが仕事としてやるのは絶対に認めてもらえませんでした。言えば言うほど喧嘩になりました。そして父が亡くなってから本格的に仕事としてやろうとしています。

 

以上