「しょうもない男だとは思わないでください」


それが、源田老人が私に語りかけるときの始まりの文句となっていた。

源田老人は私の反応など気にすることなどせず、とつとつと語っていく。

それは己の若い頃のことであったり、亡くなった妻のことであったり、己の元から旅立っていった子供達のことであったりと、話題はどれも源田老人とその家族のことが大半を占めていた。

だが近頃では、源田老人の隣家に住むという書道教室を開いている女性のことが多くなっていた。

つまり、源田老人は老いた身で浅ましいと思いながらも(源田老人がたびたび自分をそう酷評している)、その女性に浅からぬ恋慕の情を抱いているというのだ。


「しょうもない男だとは思わないでください。

 先日、彼女と偶然出がけに出くわしたのです。

 わしはそれだけで天にも昇る気持ちでしたが、彼女はわしと少なくない会話を交わしてくれたのです。

 わしはもう、うれしくてうれしくて。

 いやいや、そのようなあからさまな様子を見せまいと、必死でこらえていましたけれど。

 それで変な顔になってしまっていないだろうかと、別れた後に心配してしまいまして。

 それでもやはり、彼女と会話ができたことは本当に本当にうれしかったのです。

 まるで己が初恋を知った少年に戻ったような気持ちで、なにやら恥ずかしくなりましたが、彼女がとても自然に笑っていてくださるので、やはりうれしさばかりがわしの心を占めたのです。

 ですが、わかっているのです。

 どんなにわしが彼女に恋心を抱いていようと、わしの気持ちを彼女に知られるわけにはいかないのです。

 彼女は結婚している上に、わしが彼女の恋愛対象の範囲に入らないことは重々承知しているのです。

 わしが単に浅ましいだけなのです。

 浅ましくも、彼女に恋心を抱いたわしが悪いのです。

 それでも、たとえ年老いたとしてもわしは人間です。

 男です。

 魅力的な女性に恋慕の情を抱くのも、無理からぬことだと思ってほしいのです。

 言い訳じみてしまって申し訳ないです。

 誰かに思いの丈を呟かなければ、わしは彼女に何か失礼なことをしてしまいそうで怖いのです。

 こんな男で申し訳ないです」
源田老人はそう締めくくって、深く深くため息を吐き出す。

空を見上げ、また長く長く息を吐く。

源田老人は自分を責めているようにも見え、また、隣家の女性に思いをはせているようにも見えた。
「犬男さん。いつもいつもわしの話を聞いてくれてありがとうございます。犬男さんに話すと、どこか心の一部がすっきりするんです。これもわしが暴れ出さないための一つの防止策として、これからもわしの話しを聞いてください。犬男さん、今日もありがとうございました」
源田老人は私に向かって丁寧にお辞儀をする。

何とも礼儀正しい人だと思う。

源田老人以外に私に接する人は、それなりに挨拶はするけれど、お辞儀までする人はいない。

源田老人はきっと昔から、このように礼儀に厳しい育てられ方をしたのかもしれない。
「犬男さん、また明日。明日まで元気でいて下さいね」
源田老人のしわだらけの手が私の頭をなでる。

私は返事の代わりにパタパタとしっぽを振った。