「へーた」
と、車いすに座った少女が俺を呼ぶ。
「何?」
俺は掃除をしていた手を休めて、少女の方を向く。
「あの花、何て名前?」
少女が指さすのは、少し離れた場所にある木だった。
その木に咲く花のことなのだろう。
「知らない。そういうこと、詳しくないから」
「へーたの無知」
「どこで覚えてくるんだ、そんな言葉」
俺は少し不満げな声で言うと、また掃除に戻る。
この病院の掃除が俺に与えられた仕事だ。
きちんとこなさなければ、給料泥棒だと言われてしまう。
「へーた。もっとお話ししようよ」
「あのさ、みゆきちゃん、掃除のおじさんに声をかけちゃダメだって、毎回言ってるだろう」
「へーたはおじさんの年齢じゃないでしょ。まだ二十代前半なんだし」
「とにかく、俺に話しかけるな、って」
「誰も見ていないんだからいいじゃない」
「そういう問題じゃなくて」
「へーたは私が嫌いなの」
「そういう問題でもなくて」
俺はどう言ったらいいのか、頭をかきむしって悩んでしまった。
「へーたのそういう表情、好き。感情むき出し、って感じで」
「そりゃどうも」
俺はむきになるのがバカらしくなって、脱力してしまった。
「へーた」
「何?」
「私ね、今回の手術が成功したら、来月には退院できるかもしれないんだって」
いきなりまじめな話になって、俺は思わず真顔で彼女を見てしまった。
彼女は無表情のまま、じっと俺を見ていた。
「そうしたらね、一度でいいから、私とデーとして」
至極真剣な表情だった。
俺はその表情から目が離せなくて、しばらく黙ってじっと見ていた。
「…一度でいいわけ?」
「今の段階では、一度でいいの」
謙虚なようでいて、実はずいぶん積極的な申し出のようだった。
俺は一つため息をついて、わかった、とうなずいた。
「手術が成功して、退院できた暁には、みゆきちゃんとデートするよ」
「ありがとう、へーた」
彼女はふわりと明るい笑顔を浮かべた。
どうにもこうにも甘くなってしまう自分に、苦笑を浮かべていた。