岡崎・滝山寺・滝山東照宮 | 広島東洋カープ必勝祈願blog

岡崎・滝山寺・滝山東照宮


新しい御朱印帳が10月から導入という事で伺いました。
何度も足を運んだ運慶作の三尊が残るお寺です。

紅葉が綺麗でした。

山門
縁起』によれば保安年間(1120年 - 1123年) 天台宗の仏泉上人永救(えいぐ)が地元の豪族物部氏の保護を受けて本堂を建てるなどして再興、次いで熱田神宮大宮司藤原南家を檀越に迎えることで寺勢はいよいよ興隆した。永救は加賀国出身で比叡山で修業したのち、布教のため三河の地に渡ったとされる人物で、この12世紀の僧永救の再興により、山岳信仰の場であった吉祥寺が、天台寺院としての形態を整えたものと思われる。

平安時代末期から鎌倉時代初期の住職であった寛伝(1142年-1205年)は、熱田大宮司藤原季範の孫で、将軍源頼朝の従兄弟であったため、頼朝による大伽藍の造立がなされるなど、鎌倉幕府の庇護を受けた。寛伝は足利氏宗家初代当主足利義康の義兄弟でもあり、頼朝の強い推挙によって足利氏本拠地である下野の日光山満願寺座主を一時的に務めたものの、衆徒との関係が悪化し2ヶ月で三河へ戻った。現在寺に伝わる聖観音菩薩及び両脇侍〈梵天・帝釈天〉像は、『縁起』によれば頼朝の三回忌にあたる正治3年(1201年)、寛伝が頼朝追善のため仏師運慶・湛慶父子に作らせたものといい、様式的にも運慶一派の作として認められている。
滝山東照宮
三大東照宮
土日は中の参拝も出来ます
白山神社は修復中でした。

滝山寺の中は美仏像がズラリ
文化財や運慶仏は宝物殿に



十一面観音が厨子からガラスケースに収納が変わってました。
ライトの位置で表情が変わる十一面を堪能するには、厨子よりガラスケースが最適なのかもしれません。
時代が広島東洋カープ日本一を求めている❗️
田中広輔新選手会長頑張れ💥👊😃