昨年の夏、小田急相模原のまちへ来てから、友となった男性が亡くなった。

 彼はプロテスタントの長老だった。非常にピュアな人間で、正直、不道徳な生き方をしてきた私にとっては眩しくて苦手なタイプであった。

 しかし、彼は私の仕事のクライアントとなり毎週のように私の元へやって来るのであった。

 彼は、脊柱に腫瘍があり神経にあたって、常に背中が痛いと苦しんでいた。私が、一度施術をするとあまりの痛さに3日ほど寝込んだが、その後10年来苦しんでいた痛みから解放されたと喜び、私の顧客となった。

 はっきり言って、まぐれだと思うが、長老は私との出逢いを主のお導きだと言って喜んだ。私は複雑な気分だった。

 長老は、その他、肝硬変など病に侵されていて私と出逢ってから2年後には入退院を繰り返すようになった。そして、その頃には気心も知れかなり打ち解けた。彼は私を友達だと言ってくれて私は嬉しかった。

 入院をすると身体中が痛くなるので病院先に来て身体を擦ってくれないかと長老に依頼され私は快諾した。

 毎日のように病院に通って、背中を擦っては様々な話をした。そして、時には私の懺悔を聞いて頂いたこともある。

 病院に行くことができなくなってから、長老から電話がきた。

 「余命3ヵ月を宣告されました。今まで、どうもありがとう、楽しかった。それから貴女のフェイスブック見るの、楽しみなんだ。これからも続けて」

 私は、長老には何でも話をできる間柄になったが、小田急相模原駅前葬祭場建設反対運動に参加していることだけは話せなかったし、フェイスブックにも反対運動の内容まったく投稿はできなかった。

 だから、葬祭場を目前に建設された老人ホームの入居者で病気と戦っている方を抱えている経営者さんの気持ちがよくわかる。

 長老が、亡くなってから、私はちょっとだけ不思議な力がつくようになった。施術の勉強中、それを感じることがある。

 多分、それは、長老が私にプレゼントしてくれたのではないかと思っている。