2021年4月15日、この日老人ホームマキ介護サービスにピンクの横断幕設置作業を事務局長と私は手伝いに向かった。

 横断幕には、「遺体搬送を高齢者に見せない配慮を‼️」と記載されている。前日、我々の仲間でもあり、この老人ホーム入居者の老女A子に事務局長は電話し、横断幕設置の応援を依頼した。

 「嫌よ、私の部屋からは見えないし関係ないわよ、もう、私を巻き込まないで頂戴」と老女A子は電話口で叫ぶ。
 
 事務局長は「おい‼️A子、お前の部屋からは見えなくても、お前の仲間たちは泣いているんだぞ‼️いいのか?」と訪ねる。

 私は二人のやり取りを聞きながら胸を痛めていた。実は、老女A子は私の命の恩人、私は彼女をオダサガの母と慕っている。

 彼女は、そのむかしは部落解放同盟という市民運動に参加し、休日には道行く人びとにビラを配布したり、全国の会議に参加したりと熱心な運動員だった。

 そんなA子を変えてしまったのは、私だ。かっては困っている人を見たらためらわず手を差しのべる人間だった。A子は私をある環境から救いだしてくれたことによりとばちりを受けた。

 私とともにある場所から逃げ、避難地を求めさ迷いこの小田急相模原のまちへやってきた。私は右手にスーツケース左手には老女A子の手を引きながら安住の地を求めていた。

 年老いたA子は、夜になるとネットカフェで泣き言をよく言った。「こんな年老いて、こんなところで寝るなんて嫌だよ、早く、放浪の旅を終えたいよ」

 辛いおもいをさせてきたのは、この私だ。

 オダサガのまちに住むことができ、老女A子を受け入れてくれたのが、この老人ホーム社長牧野さんだった。

 「牧野さんが困っているんだぞ、、」と事務局長は、なおも説得を続ける。

 老女A子は牧野さんが困っているというキーワードに弱い、しばし沈黙のあと

 「わかったわよ〰️手伝えばいいんでしょ❗まったく、何で、老人ホーム前に葬祭場を建てんのよ〰️どうせなら、ケンタッキーフライドチキン建てなさいよーーー」

 と主張した。私は老女A子のはりのある声を聞き、少しだけほっとした。

               続く