老人ホーム前に葬祭場が建設され反対活動をしていた自分を冷静に見てみる。

仮に、自分が葬祭場前に建設された老人ホームに入居している老人だと想像する。

ちょっと不自由になった身体を起こしてやっとの思いで外を出る。

そして南側の窓を開けベランダへ

下の方を見ると、どうやら今日も喪服をきた人々の姿をみる。

私なら、無感情で、ただぼんやり葬列を眺めながら煙草を吸うだろう。

だけど、もし、自分を育ててくれた両親の終の住みか前に建設されたら、資金に余裕があれば引っ越しをさせ、なるべく穏やかな気分になるような景色を見せたい。

小田急相模原駅前に葬祭場が建設し反対運動に参加したこと、葬祭業者側のことを考えてみる。世の中に必要なものなのに、反対運動をする連中はちょっとクレイジーに思えるかもしれない。

私が反対運動に加入した理由は、ホームレスを経験したことがあるからだ。ある日、ある理由により生活に困窮するような事態に陥っても、行政というものは本当に冷たい。

 おかしいと感じたことはアクションを起こさないと最後は自分が泣くことを経験した。

 葬祭場の設置看板は昨年3月に設置されて近隣の住民や予定地前の老人ホームは大騒ぎとなったが、小田急相模原調査団の調査報告によると3年前には、葬祭業者はその場所を選定すべく調査をしていたのだ。

 私は、老人ホームの経営者さんが老人の住まいらしくない、普通の住まいのようにしたいという気持ちはわかるけれど、その場所が老人が多く入居している場所であることを示すために高齢者施設の看板を大きくしておけばよかったんだろうなと思った。

看板は、高齢者を守るために必要なものだとおもう。

もし、一目でそこが高齢者が多く集う施設だとしたら、三年前の選定調査から外れたかもしれない。

ひょっとしたら、葬祭業者はしまったなと思ってはいたが計画が進み過ぎてひくに引けなかったかもしれない。

そうだとしても、今後のことを考えていかねばならないので、きちんと協定を結ぶ、相模原市に葬祭場の建設、運営、管理の条例が制定されるその日まで私達は活動を続ける。

 協定は葬祭業者と住民達の架け橋なのだから

 条例は住民達を守るためのものであると信じているから