最近、「驢鞍橋」という本をちょっとずつ読んでいる。江戸時代の禅僧、鈴木正三の言行録だ。

鈴木正三は日本の禅宗史の中でもかなり特異な存在で、曹洞宗に分類はされるけど、必ずしも曹洞宗的ではない。なにしろ「道元禅師はスキのある人だと思われる」と言ってしまう気骨の持ち主だったりする。

 

 ちなみにワシも最近「道元禅師はスキのある人かも・・」と思うことがある。とは言っても現在の曹洞宗の宗制で「宗祖を誹謗中傷すると僧籍剥奪」という規程があるため、あまり声を大にして言えないのだが・・・w。

 

 正三の主張では、「坊さんは町の中でいろんな人と交わっていくべきだ」ということで、山奥でひっそりと修行に励む道元禅師は独善的すぎると言うことだろう。

 山奥でひっそりと修行・・・、ワシもそういう生活に憧れた時代があった。というか、今も基本的にはソッチ志向である。それが、なにか手違いがあって地元の商工会議所に引き込まれ、副会長なんぞになって、日々会議と言う名の飲み会続きである。

 

 自分の中で、坊さんとしてこれはどうなんだろう・・、と自問することもあった。

 

 ある日、飲み会の席でポロッとそんな話をしたら、ある会員が居住まいを正してこう言った。

「いや・・、和尚。和尚が色んな所に行って、色んな人に会って一緒に酒を飲む。それはものすごく徳を積むことになると思うんだよ」

 

 そういう考え方もあるんだなと思った。徳を積むのはワシか、相手か?。まあ、どっちでもよいが。

 

 いやでも歳を取れば独居老人としてひっそり修行することになるのだから、今は多くの人と交わっていこう。そういう風に思っている。

 

 今日読んだ正三の言葉に「前は山居をよしと思いしが、今は悪しと思うは、修行少し上がりたると思うなり」とあった。

 

 古教照心。自分の至った考えが先人の言葉と合致すると、なんか嬉しいw。