「あなたが押して」
妻は高橋にそう告げた。
「だめです、あなたが押してください。じゃないと意味がないんです」
「なぜ?」
「はあ・・・・もういいかげんにしましょうよ、そこのボタンを押すだけ。ね?簡単でしょ?」
「今の話が本当なら、私達は無事ではないんでしょ?だったら尚更スイッチは押せない」
「無事?」
高橋は顔をうつむかせ、肩を震わせながらクスクスと笑っている。
「なにがおかしいのよ・・・・・」
「無事どころか、あんたは今ギリギリの所で生かされてんだよ、まだわかんねえのか?」
妻は絶句した。
こうまで人というのは変わるのだろうか?
今まで夫婦を客として見て来た高橋の視線とは違い、今は殺意すら感じる視線。
全ては私たち夫婦を騙すための演技だとしても、まるで性格自体を入れ替えたように変化している。
ここに居てはだめ。
そう思った妻は、わき目も振らず、唯一の出口である玄関へと走り出した。
当然高橋は追ってくるものだと確信していたが、聞こえるのは自分の足音のみ。
だがそんなことは関係ない。とにかく外にでなければ。
玄関へたどり着くと、ドアノブを握り締め、一気に下へと押し込む。
ガチャっという音と共に、開くドア。
とにかく誰でもいい。誰かにこのことを伝えなければ。
そう考えながら、妻は外へとむかって一歩を踏み出した。
だが、気づくと、そこは外ではなかった。
目の前には外にあるはずのない、自宅のリビング。そしてそのリビングでソファーに座っている高橋。
混乱する妻。
確かに玄関のドアを開けたはず。なのになぜリビングへ出るのか?
呆然と立ち尽くす妻を見ながら、高橋は口を開いた。
「ね?理解出来ない世界でしょ?ここは」
高橋のその一言で、妻は何かを悟った。
「あれを押したのは夫のはず・・・・・」
「やっぱりそう思ってましたか・・・・残念ながら、押したのはあなたです」
つづく
