78では不良教師だったボクを書いたけど、同時に優秀だったと自画自賛してる。


 授業規律は厳格だったよ。ボクが教室に入った瞬間、席に着いて無い生徒には厳しく叱った


 授業中には私語は全く無かったよ〜ん。

私語なんて許す訳が無い。


 なので、生徒たちは緊張してたな〜。

其れをほぐす為に授業の合間にはボクの失敗談等を入れた。


 失敗談や余談には事欠かない。

ボクは大学卒業後の就職試験にはすべて花と散った。後はバイトの道しかない。


 トラックの運転手ではグンゼの下着を小売り店に配達した。夜遅くなると眠くて、センターラインが2重に。


 ラーメン屋の出前持ちは雀荘へ。帰って来ると再び同じ雀荘へ。1週間で辞めた。


 ホテルのボーイは時給が高く2年間続けた。

ウエトレスは今風のヤンキーだね。休憩時間は下ネタばかり。ボクも聞いてた。


 或る日バイトからの帰り道、喫茶店に寄った。何気なくボ〜トしてた。その時閃いた。

(オレ、何してんだ。教師に成ろう!)


 ボクは商学部だったから、商業の教師〜?

ツマンナイから社会科じゃないと。下宿から大学院の文学部のK教授に電話した。


 (キミね、不可能だから止めておきなさい)_若気の至りで挑戦しよう。失うもの何も無かった


 1年間、昼間はバイト、夜は受験勉強の日々だけど、楽しかった。合否発表は大学院のホール。

 ボクの番号があった。腰から床に崩れ落ちた。(オレの人生が開いた)


 修士論文の合否判定も何とか合格して、オファーのあった高校の教師になったのは29歳だ。


 かくして、回り道だから余談は幾らでも。

緊張感に満ちた授業の合間に余談で必ず笑わせた。

 ボクは受験日本史担当だった。


 年号を覚えるのは大変だね。そこで工夫をした。歴史をパツケージにして、物語風にして覚えてく。


 長くなるので、次回に書きます。受験生の進路を変えたエピソードを一つだけ書くね!


 Cはアナウンサー希望で、某大学から多くなってるのでCの希望大学も当然その大学だ。


 ところが、当時のセンター入試を自信が無いから受験しないと言い出した。ボクは(駄目だ、絶対に受けろ、経験にもなる)_もう命令だね。


 センター入試を終えて、学校での自己採点。

希望大学のラインを超えてたんだ。


 後日、彼女の手元には合格通知が届けられてた。そして、4年後には某テレビ局でアナウンサーとして出てた。


 1人の子の人生を開かせて上げた。教師には時として強引さも必要なのです。


ありがとうございました。感謝、感謝👬👫