偽善者とは。

また、これを行う偽善者とよばれる。 精神的な偽善は、外面では善い行為に見えても、それが本心や良心からではない心理状態を指し、行為としての偽善は、隠れて悪事を行う為に善行を装う事である。 ... 精神的な偽善には、腹黒いやゴマすりや食わせ物という表現もある。(広辞苑より)

私はこの世に良い人などいない。
結局は自分の都合に合わせて、思考し行動する。

こんな人とは本音で話せないとおもう。
ならいっそう、世間一般では性格が悪いと思われてる人や堕落仕切った自分を諦めた人の方がよっぽど人間味がある。

私はどちらかというと、世間一般では性格が悪く不思議な人なんだと思う。

だからこそ、偽善的な行為をなんのためらいもなく出来る人とは、深く関われないのだろう。
そこにはおそらく、嫉妬も含まれている。


なんてことをいいながらも、組織で見たときに偽善者とはすごく効率的で生産的な効果を発揮する。

誰もが嫌がること。
偽善者はそれを行い評価をあげる。
組織はなんの手も下さずに汚れ仕事が解消される。

この組織作りこそが偽善者と周りの人が気づいても、認めるには至らない原因だと感じる。


裏表もない人間とは。
結局、裏しかない人間のこと。

裏表を作ることが上手に生きるコツ。



たしかに、偽善者の必要性は私も認めている。
しかし、偽善者とは基本的に自分自身が偽善者ということを認めない。
また、周りの人間もそういった、雰囲気作りに勤しんでおり。よほどの事がない限り、偽善者が社会の晒し者になることはない。


私みたいな人が、社会で良い地位に恵まれるには。偽善者の偽善者たる証拠を掴み、継続的に偽善者のマイナス面を露呈させることが必要である。


そんな努力をできるなら、きっと私も偽善者になれるだろう。
そう、私は無気力な程に人に興味がないのだろつ。

つまりは偽善者は偽善者なりに犠牲を払ってあるということ。

いつも、明るく振る舞う偽善者も一人の部屋では無言で部屋の電気を消し、突っ伏しているのだろうか。
八方美人に親友はいるのだろうか。


少し偽善者に同情はしてみたが、
私が偽善者と仲良くなることはきっと来ない。
いつか、無気力な人間が偽善者を超える時を見てみたい。