going my way☆ -31ページ目

going my way☆

2010年4月1日トルコ人の彼と結婚しました
askim→旦那様
gulm→私        


どたばたな国際結婚や私が日々思うこと感じたことなどを綴ってみたいと思います

震災後ブログを書く気分になれず

不精も手伝って

さぼっておりましたにひひ



いまだに震災の爪痕は大きく心が痛みますね・・・

我が家では震災後から飲み水を完全にミネラルウォーターに変更しました

購入が厳しい時期もありましたが
今では普段から見慣れたお水や
世界中の見たことも無いお水を目にすることもしばしば目


そんな中、「AQUAFINA」を発見アップ
私が気がつかなかっただけで既に売られていたかもしれませんがべーっだ!

いつもアメリカに行くと初日にケース買いしてるこのお水
軟水で安いし、他のお水はガロンや1Lが多いのですが
500mlペットボトルに入っているのでよく買うのですクラッカー

今まで日本で見たことが無かったし
アメリカを思い出して
なんだか嬉しくなっちゃいましたアップ$going my way☆
今、メディアで報道される表向きの原発に関するニュースを
鵜呑みに信じることは出来ません。
既にメルトダウンは始まっているし
政府の言う計画通りに事態が収束したとしても
目に見えない無味無臭の放射の汚染が蔓延しています。

知っていますか?
西新宿の高層ビル街は東京で1番放射能の測定値が高いことを。
東京も安全ではありません。

知っていますか?
3/11から放出された放射が地球を既に1周して観測されていることを。

知っていますか?
チェルノブイリで被爆した方々の影響が後年報告されていることを。


これから生まれてくる子供たち
今現在生活している子供たち
彼らが放射能の影響で
水痘症、奇形児、発癌として多く報告されています。


50歳を過ぎれば細胞分裂が少なくなり
影響は受けにくいものの
若い細胞は如実に影響を受けます。

貴方の子供が該当したときに
耐えられますか?
死に行く子供に何を思いますか?

私は耐えられません。

色々な意見があるとは思いますが
世界中の何処にも完全なる安全な場所はありません。
でも原発から少しでも遠くの地域は被害が少ないのです。

だから海外へ、遠くへ行くことが望ましいのです。

でも何故海外へ行かれる方が非難されるのか分かりません。
私の価値観が人とずれているからなのかもしれませんが
少しでも危険から遠ざかろうとするのは間違っていないと思います。
海外へ行く手段が無い、行きたくても行けない方は沢山おられると思います。
非難の声を上げる方は嫉妬のようにも聞こえます。


私の主人はトルコ出身です。今でもトルコに家族がおります。
今すぐでもトルコへ行きたいですが
私にも会社があり、家族がおります。
1番の心配は母です。

先日母に真意のほどを確かめました。
万が一原発が爆発するようなことがあれば一緒にトルコに行かないかと・・・

(実際爆発をしなくても放射能の駄々漏れで東京でさえ被爆しています・・・)

母は泣きながら
お母さんは日本で死ぬの!
と泣きながら言いました。

母のことは心配だけど母の気持ちは汲みたい。
悔しいけれど私がトルコ行きを決めたときは
母を日本に残していきます。
親不孝と言われようが私たち親子が話し合って決めたことです。

これから日本がどうなるのかは誰にも分かりませんが
近づけない原子炉にどうやって東電の末端社員、外注会社が入って作業を出来るのでしょうか?
管政府をどうしたら信用できるのでしょうか?

私だって安心して東京で暮らしたいです。
東京で仕事も続けたいです。
子供だって授かりたいです。
とっても複雑な思いです・・・






安定化に向けめどがった大きな前進のようにもとれるけど
アメリカが日本を見放したととることもできる

色々な事を言う人が多いけど真意を知りたいです



東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、米政府が日本に派遣した「海兵隊放射能等対処専門部隊」(CBIRF)が来週中に帰国する見通しとなった。複数の日米関係筋が19日、明らかにした。


 CBIRFは大規模な放射能漏れなどの緊急事態の際に被曝(ひばく)者の除染作業などを行う。2日以降に約150人が来日し、自衛隊との協力方法を調整していた。東電が17日に事故の収束に向けた「工程表」を発表したことなどで、緊急事態に直面する可能性が低くなったと判断したとみられる。

 これに関連し、北沢防衛相は19日午前の閣議後記者会見で「不幸中の幸いでCBIRFが出動しなくていい状況が続いてきた。(事態収拾の)見通しが立てば帰ることになる」と語った上で、近くCBIRFが待機する東京・米軍横田基地を訪れ、謝意を伝える考えを示した。

(2011年4月19日11時12分 読売新聞)