我が家は両親が英語ペラペラなせいで、
今だに『ダディ』『マミ』と呼んでいます。

そんで母方の祖父母を『パパ』『ママ』と呼びます。

今日は大好きだったパパのお話し…キラキラ


元気だった頃のパパの印象は
『とにかく大男!!

身長も体重もおっきくて、プロレスラーみたいな人でした。
靴なんて30センチ以上あったかな…だから当時の日本では買えなかったとか。

そんな豪快だったパパが急速に衰え始めたある年の冬。

久しぶりにパパとママが我が家にごはんを食べにくる事になり、玄関先に出迎えた私が目にしたのは…
両親に両側から支えられやっとの思いで靴を脱ぐパパの姿…

小さく痩せてしまった姿に
泣きそうになるのを堪えてパパの手を取り、席まで連れてってあげたっけ…。


ほどなくして老人ホームに入ることになったパパ。

幾度となく逢いに行ったけれど、だんだん私達のことが分からなくなる程に痴呆は進んで行った。

私達三姉妹は涙しながら相談して…

パパに3人の演奏を聴いてもらおう、と決めた。

老人ホームの園長さんに掛け合い、日取りを決めた。

いよいよホームで演奏する日。


パパにこんにちはを言いに行ったけれど、相変わらず私達のことは誰だか解らなかった。


老人ホームの他の入居者もみんなホールに集まってくれていて、ヘルパーさんが最後にパパを連れてきてくれたのを合図に私達は演奏をはじめた。


うっとりと聞き入ってくれてるおばあさん…
ずっと一人で話し続けてるおじいさん…
退屈そうに天井を仰ぐおじいさん…

パパは…ジーッと私達を見つめ
演奏に聴き入ってくれているようだけれど…、その目にはまだ孫として映っていないことは分かった…。


最後の一曲になった。

今だにasianTrinityのライブでも最後の曲にはその曲を弾くんだけれど…

その曲を弾き出したその瞬間…

パパの顔がみるみる歪んで…

悲しいとも苦しいとも情けないともとれない表情から…あっと言う間に涙でぐちゃぐちゃになった。

パパの瞳にはしっかりと私達が映っていた…。


その時のことはスローモーションで
まるで映画のワンシーンのように私の記憶の中でいつでも再生できる。



どんな思い出話も敵わなかったのに、
音楽で…、私達の演奏で、
パパは私達を思い出してくれた。


今思えばそこが三姉妹のasianTrinityとしての活動の原点だったと思う。


たった一人でもいい…
たった一人の誰かの心に響けばいい…。

その瞬間の為だけに
私達asianTrinityは音楽を続けるんだと思う。