こんにちは~。


先日、新聞に掲載していただいた僕の小論文をUPしますね。

沖縄の新聞各社は異常なほど反米・反基地・反体制側に傾倒しています。

結果(結果というか原因か)「狂喜乱舞している国」がありその国によって、PM2・5や核実験による環境破壊を初め、チベット、ウィグル、その他もろもろの国が国ごと滅ぼされ(滅ぼされようとして)

これからその国で増設する30基近くの原発・・・・


そして目の前の尖閣諸島の領海領空侵犯など、

様々な不安要素を沖縄県民が直視できないような流れを生み出しています。

綺麗な海を守りたい。」

世の中から戦争がなくなればいい」

「子ども達に安心・安全な世界を残したい。」

「日本の伝統・文化を守りたい」

その為にはどうしたらいいのか。


僕も強く強く願っています。


その実現の為には何はともあれ「あの国」からの脅威を排除するのが優先事項としてトップに来ると思うのです。

皆さんの中にある「基地に対しての不安」が少しでも融和されることを願い書きました。

新聞では結構、(紙面の関係か、文章力の問題か・・・・)

削除されてしまった部分もあり、

今読み返すと直したい箇所が多々あるのですが

そのまま原稿を披露しますね。

それではどうぞ~(また長文なので、覚悟してください・・・・)


「八重山の伝統文化が作る島人の絆」


八重山では、紙面では列挙出来ない程

無数に生活に

密着した伝統・文化が未だに息づいており

それが、現代も燦燦と光り輝きいささかも

色あせていないことに驚愕

と畏敬の念を持つ。



中でも各地域による結願祭をはじめ様々な伝統行事は

幾多の困難や苦楽を享受して島と共に

生きてきた先人達が島の五穀豊穣や家庭、周りの人の無病息災の祈願、お礼を通して

島や島の神への感謝を表し、歴史と言う悠久の時間を越え、

伝承され神事となり現在も続いている。


伝統行事に触れることはその土地の特質とそこで生きる人、

両方に触れることができるので通常は観光業として成り立つが

驚くことに八重山の

伝統行事は小浜島の豊年祭の様な秘祭も未だ

凛として存在していることから分かるとおり、見る人に

媚び、本質を失うような観光行事には成り下がっていない所だ。


その事実がさらに伝統行事を大切にしている島人と島を魅力的に輝かせる。


 伝統が継承され続けている歴史が深ければ深いほど

携わった先人達の数は世代を超え増えるので

自分達の世代で劣化させるわけにはいけないという

責任感が現代の島人に自然と形成されやすくなるのだと思う。


その責任感の重圧は相当な物であり島人の日々のご尽力には

大変頭が下がるが、それと引き換えに島人は

島や自身の出生に対しての誇り、すなわち土地と血を愛する気持ちを得ているように思える。


伝統行事を通して現代の島人同士の空間的な繋がりという

横の糸と、歴史と言う時間の縦の糸が重なり

暖かな「伝統の布」が織られ、

それにより、島と島の神様と祖先、現代に生きる島人、そして過去の世代

だけではなく未来の島人をも一まとめにくるみ

大きな和を形成しているのであろう。


しかもこの伝統の布が与えてくれる効果はこれだけではない。


 人は特に思春期に自己とは何者か、何をするべきなのか、

何が出来るのか、という問いに答えを求め

本当の自分を捜すものだと思う。


この時明確な自己を発見できずに自我が揺らぎ続けていると

反社会的な行動や、宗教に嵌ってしまうことで

自己を安定させようとしてしまうこともある。

不安定な心ほど、安易な安息を求めてしまうのだ


 健全な自己形成のためには

自分を大切に思う心、自尊心で自己を満たすことが必要だ。


自分とは一体何者か?


しかし土地と血を愛する島人は、この難題に意図も

容易く答えを導けてしまう。


自分こそが

先人の思いを引き継ぎ未来に託す伝統に生きる「島人」

であるからだ。


不安定な自己の揺らぎを包み込む暖かな布を島人は持っているのだ。




この事実がどれだけ島人に安寧と自尊心を与えているのだろうか

島外出身者の私にとっては計り知れなく、とても

羨ましくも思う。

 

 昨今、尖閣諸島問題や沖縄本島における基地問題などで

沖縄はどうあるべきかが、問われ続けている。


外部から伝統・文化、島人の「誇り」

を破壊しようとする勢力が具体的に領土領海侵犯という形で

近づいてきているのは誰も否定は出来ない。


一般的に根強い伝統文化を持つ民族ほど絆は強く

外部的要因で

破られそうになると結集し絆を一層強め、強い抵抗が生まれるのは

白人が入植してきた時のニュージーランドのマオリ族、戦時中の日本民族などの

歴史が証明している。


しかし

自分の島を壊すほどの軍隊、基地を望む島人はいない

はずだ。

基地反対運動の一理であろう。


だが基地や軍隊が外部からの脅威から島を守るためには

欠かせない、という状況になった時に

許される範囲でこれを享受しなくてはならないのも与那国島の

状況を見れば分かる通り、事実だ。


日本の江戸時代における庶民が興した様々な伝統文化が立証しているように

伝統文化の発祥・継続には「安心した暮らし」

という要素が一番の元になるからだ。



 沖縄は基地に町が隣接する異常な状態の普天間基地を

県内の辺野古に移すのか、諦めずに県外海外に移設場所を

探し続けるのかが問われ続けている。


戦後、米軍は軍事基地建設の為に村落ごと土地を収用して

伝統文化を破壊した。


しかし現代ではこの手の建設は人道的観点から不可能にはなってきている。

むしろ基地建設により基地需要から

雇用が増え、辺野古の住民も増加する一面もあると言う。


辺野古住民が基地建設を容認している理由は

村落に人が戻れば、伝統文化を継承する人も

増え、結果的に村落継続に繋がると判断したのだろう。


石垣・竹富町ではまだ基地建設の話は出てきていない。


このまま外部的要因から基地を建設し、抵抗の意思を示す必要に迫られないのがベストではあるが

万が一その時が訪れるなら、様々な要素を加味してどのような選択が,

未来の島の為に何百年も前から島を一つにし,


島人の自尊心の礎でもある「伝統の布」

を死守できるのか,

が議論の論点になるべきだと思う。