2024年2月12日(月)の4






Google地図のおかげで、何気に怪しい道も見ました。ここを通り抜けたわけではなく、気になって覗いただけですが、夜だったら怖そう。





片町辺りで、芭蕉の辻の標柱を探したのですが、見つけるまでに時間がかかりました。


15:08 芭蕉の辻標柱発見





片町交差点(スクランブル交差点)の、北国銀行の前、車道側に建っています。




「いいじ金沢」より

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片町2丁目のスクランブル交差点に、「芭蕉の辻」と刻んだ石碑が建っています。江戸時代の俳人・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で東北を巡った元禄2(1689)年、越後(新潟)、越中(富山)を経て金沢に入ったのが7月(新暦の8月)とされています。その時、芭蕉が宿泊した宿があったのが、現在のスクランブル交差点あたりだっとされています。

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15:14 犀川大橋を渡り、左折して川岸をしばらく歩きます。



右側に四角くない建物があって気になりましたが、山錦楼(さんきんろう)という料亭だそうです。



15:18 蛤坂近くまで来たところに、芭蕉句碑がありました。私が来たとき、ちょうど句碑の上にカラスが止まっていて、写真を撮ろうとしたら逃げられました。




句碑には、
「あかあかと日はつれなくも秋の風」

この句は、兼六園の山崎山の麓にもありました。実は、この同じ句が金沢市内に3ヶ所あるそうです。もう1ヶ所は、実はすぐこの先にありました。


15:21 蛤坂標柱
「加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。」




15:22 料亭 山錦楼(さんきんろう)





金沢市公式ホームページ「いいね金沢」より

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山錦楼は明治28年に野田町で創業された老舗料亭で、後年、明治30年頃建築の町家に移り、現在に至ります。
 金沢では、大正末期から昭和初期に3階建の料亭や旅館が多く建てられました。元は2階建ての町家だった山錦楼も、大正14年から昭和2年頃にかけて増改築をし、現在の地上3階建地下1階の姿になりました。正面の外観は、町家を基調とした近代和風建築らしい、端正な意匠でまとめられています。犀川から見た4階建ての外観も見所です。
 同時期に建てられた料亭で現存するものは少なく、古い景観を残す蛤坂(はまぐりざか)周辺でもひときわ目を引く貴重な歴史的建造物です。

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15:24 成学(しょうがく)寺



芭蕉句碑





案内板
「    芭蕉句碑

宝曆五年(一七五五年)

芭蕉翁追悼のため俳人 堀麦水とその門人が秋

日塚(あかあかと日は

難面も秋の風)を建てた

     平成十九年十二月

            金沢市  」

さきほど書いた、金沢市内三つ目の「あかあかと」の句碑。秋日塚と呼ばれているのですね。

碑文は、下半分の芭蕉翁は読めますが、上半分の俳句は読めません。


成学寺の同じ境内に一笑塚があります。



金沢の俳人小杉一笑に会えるのを、芭蕉は楽しみにしていたそうです。しかし、金沢までやって来てみると、一笑は既に亡き人となっていました。享年36歳。芭蕉の弟子という説もありますが、二人は直接会ったことはないそうです。しかし、芭蕉は一笑のセンスを愛していたそうです。



「おくのほそ道」を歩く旅 第19日目の5に続く