2024年1月30日(火) 晴れ 芭蕉の辻~仙台城跡





前々回の鳴子温泉の項でも書きましたが、今回も白河の関からぽんっとワープしたので、続きみたいに第18日目と書くのはおかしいかなと思いましたが、とりあえず第18日目としておき、後日調整するかもしれません。

白河の関以北、福島県は雪の多い地域なので、冬に歩くのは避けようと思いまして。

実は、飯坂温泉に行く計画を立てていたのですが、たまたまキャンセルしたら、その日が大雪となり、キャンセルしてよかった!と思いました。

そこで、東北でも雪が少ないと言われている仙台に白羽の矢を立てました。


さて、夜行バスでやって来ました、仙台。

仙台に2年住んでいた兄も言っていましたが、福島県は寒くて雪も多いのに、そこより北にある仙台は雪も降らないしあまり寒くない。

今朝、5:35頃、仙台に降り立ち、あれ?寒くない、と、驚きました。


寒さに備えて、イヤーマフ、ネックウォーマー、いつものダウンコートの下に重ね着出来るフードのないウルトラライトダウンコート、レッグウォーマーを用意してきましたが、必要なしでした。

先日、南関東以外大雪だった時の雪が残っているかもしれないので、雪用のくるぶしより上まであるショートブーツを履いてきたので、それで暖かだったのかもしれません。雪用ショートブーツが必要だったのはほんの一瞬だったので、これならいつもの靴を履いてくればよかった。いっぱい歩いたので、いつもの靴と違ったため、足全体が疲れました。

今回の仙台旅の目的は、松尾芭蕉に縁の深い場所を回ること。ずっと歩いている「おくのほそ道」を歩く旅の一環です。


ネットでの事前学習で、芭蕉が訪れたり、縁の深い場所として、仙台市の6ヶ所が挙げられていました。

「芭蕉の辻」「仙台城大手門と脇櫓」「亀岡八幡宮」「榴岡天満宮」「陸奥国分寺薬師堂」「東照宮」「妙心院」

仙台市の地図で印を付けてみたら、かなり広範囲で、一日では回れないので、

「おくのほそ道風景地」は必ず押さえることにしました。

仙台市ホームページより

「全国で18ヵ所が名勝『おくのほそ道の風景地』として指定されている。

仙台市内では,『つゝじが岡及び天神の御社』と『木の下及び薬師堂』が指定されている。」


そこで、午後におくのほそ道風景地である榴岡(つつじがおか)天満宮と陸奥国分寺薬師堂、それプラス、仙台東照宮の3ヶ所を電車で回る。

午前中に、仙台駅から近い芭蕉の辻と、仙台城へ行く。

時間に余裕がありそうなら、亀岡八幡宮や妙心院にも行く。

という計画を立てました。

夜行バスは朝5:35に仙台駅に着いたので、暗いこともありますが、早朝過ぎて入れない場所もあるだろうし、8:30までマックで朝食&時間調整。

8:30にマックを出て、隣の商業施設のトイレでコンタクトレンズを入れて、仙台駅のコインロッカーに荷物を預けて、仙台駅西口を出発したのが8:49。




ここから15分で芭蕉の辻に着く予定だったのですが、問題が2つ発生。

まず、持参のまっぷるの地図は、食べ物屋さんばかり大きく書かれていて、目印にしたいビルの名前や交差点名が書いていない!

Google地図に頼ったら、駅に近いと何故か誤誘導が多く、ぐるぐる回らせられました。

途中から、Google地図は見るけれど誘導を無視して自分の勘で進んだら、その方が正しかった。

芭蕉の辻に着いたのは8:26。




案内板の内容はこちら


Wikipediaより

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芭蕉の辻(ばしょうのつじ)は、江戸時代に仙台城の城下町の中心であった十字路である。城の大手門から延びる大町通と奥州街道とが交差する辻で、町割の基点だった。現在の仙台市青葉区一番町および大町の境界付近に当たり(北緯38度15分36.9秒 東経140度52分14.4秒)、宮城県の道路元標(里程元標)がここに設置されている。

名前の由来

以下の諸説がある。

1、伊達政宗の間諜として働き、恩賞として辻の四隅の建物を授かった芭蕉という名の虚無僧が住んでいた(『封内山海名蹟記』)。
2、芭蕉の樹が植えてあった(『封内風土記』)。

1.の虚無僧説が有力である。芭蕉の樹説については井原西鶴の『一目玉鉾』でも記述がある[。

なお、松尾芭蕉とは関係がない。

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案内板の左横に、道標もありました。




芭蕉の辻と松尾芭蕉は関係ないそうですが、芭蕉と曽良はここを通って仙台城大手門へ向かいました。


さて、この後は仙台城跡へ向かいます。

普通はバスで行くのですが、歩きました。芭蕉の辻から1時間40分ぐらい。

9:46 西公園




公園のトイレをお借りしました。


この公園内に芭蕉句碑があるはずなのですが、なかなか見つからない。


仙台は大型犬の散歩が多い。


やっと芭蕉句碑を見つけたのは10:01でした。

西公園にある芭蕉の句碑
「風流のはじめや奥の田植え歌」




西公園にある彫刻 「ふたり 1983 朝倉響子」



大橋を渡って青葉山に向かいます。




若い人がたくさん歩いていたり、自転車がブンブン走っていると思ったら、皆さん、東北大学の学生さんでした。


地下鉄川内(かわうち)駅が近い。


途中から急に急坂になりました。




こんな急坂でも自転車をシャカリキに漕いで坂を上っていく人がいる!


さすがにさらに、急な胸突き八丁は自転車から降りて、歩いて自転車を引いて上っていました。

左へ。若い人もさすがに自転車を降りた急坂。雪が残っています。




胸突き八丁を自転車を引いて上がっていた人たちも、上の道に出ると、また自転車に乗っていきました。



そんな人がたくさんいると思ったら、山の麓だけでなく、さらに山の上に東北大学の工学部がありました。


あちこちにオレンジや黄色や紫のカラフルな大きなシャベルが置いておりました。
私たちを助けてください。と書いてあります。私たち、とは、東北大学です。

通りがかった人たちが雪かきしていってくれているのかなあ。それとも、学生さん達がやっているのかなあ。

東日本大震災の時、みんなで東北の復興を助けよう!と心ひとつになった、あの頃の思いがよみがえりました。

東北大学を過ぎると、坂を上る人は私だけになりました。

途中、道が左右に分かれていて、左側に行く道は工事中とかで通行止めになっていました。

仙台城跡入り口に着いたのは11:06。

途中、結構バスを見かけたので、帰りはバスに乗ろう。


仙台城跡(青葉城)にある、土井晩翠「荒城の月」の碑




伊達政宗公




仙台城跡からの、仙台市




伊達政宗公の像の辺りから、仙台市が見渡せますが、以前よりタワーマンションが増えたと思いましたが、周囲と比較してタワーマンションだと思ったけれど、多分、ちょっと高いマンションであって、東京にあるようなタワーマンションではないかも。



「おくのほそ道」を歩く旅 第18日目の2(仙台城大手門跡~牛タンランチ~榴岡天満宮)に続く