一族っていう単位は、不条理な必然性のうねりを乗りこなしている方舟なんだな…その家に生まれるか、からして自分では選べないし、生まれの順番なども、選べない
いつ死ぬかも、選べない
降りられない方舟の上で、複数の家庭が分かちがたく重複して、綾なしている
どれだけ遠い糸を引いても響き合う
じぶんのなかに醸成された因果に本人が向き合えていると、運命を「必然」と考え、向き合えていないと「不条理」と考えられるのだと思う
じぶんの運命を引き受けて生きられるひとほど、運命に囚われず生きられる
これは、揉みほぐしで、指圧を脱力して受け取れるひとほど、早くほぐれるのと同じことだ
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昨年末、秋に亡くなった父方の伯父の四十九日の法要があった
お坊様がひとりで読み上げられるところで、途中から聞き取れない音声の連なりがあって
しばらくすると、聞き覚えのある戒名がでてきて
そこでようやく、ずっとご先祖様たちの戒名が読み上げられていたことがわかった
ご先祖様たちに、あの世で伯父のこと迎えてやってね、みたいなことを申し上げていたみたいだった
あっ、これはひいおばあちゃん、これはあのおばちゃま、これはおじいちゃん、…ああ、みんなもう、あちらの大きな環のなかにいらっしゃるんだな、、お父さんも、お母さんも、いとこたちも、わたしもみんな、いつかその輪のなかにはいるんだな、と思ったりした
身体は離れても、心も離れたとしても、一族の糸は、たましいで繋がっている
同じ方舟に乗り合わせた縁が、ありつづけるのだ
さみしいような、あたたかいような、つらいような、うれしいような、不思議な気持ちがした
いつか輪にはいるその時まで、しっかり、自分らしく生きていようと思った