インドの顔 昔そして今
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コルカタ2

 この旅最後の朝、マイダン公園を歩きビクトリア大聖堂までやって来た。公園をいくら歩いてもベンチというものが無いので休憩ができない。ベンチはすぐに家を持たない自由な人たちに占領されてしまうから?塀に囲まれた大聖堂庭園へ4ルピー支払って入れば、ここにはいたるところにベンチがある、だけでなく良く整備された心地よい場所だ。

  ベンガルは英国からの独立まで、現在のバングラデシュとひとつの州であった。ジュート産業が盛んで、秀でた詩人や芸術家・思想家を生んだ先進の地という顔も持っている。

  時の指導者ジャワハルラル・ネルー(ヒンドゥー教)とモハメド・アリ・ジンナー(イスラム教)の話し合いの末、結局インド共和国というひとつの国家としての独立合意に至らず、やむなくベンガル州を東西に分割し、また西方はパキスタンを別国としそれぞれ東パキスタン、西パキスタンと命名。3国での独立となった。後に東パキスタンはバングラデシュ(ベンガル人の国)と名を変え現在に至る。

  偉大な指導者マハトマ・ガンディの念願であったひとつのインド共和国は、結局宗教上の対立関係を克服しえず、挫折した。この経緯は映画「ガンジー」やジャワハルラル・ネルー著「アジアの歴史」(和訳本はかなり昔に廃刊)に詳しい。学生のころ、神田神保町の古書街を歩き数年がかりでこの本を手にした。が後に自宅の火災で焼失した。

  インドは、何が飛びだすかわからないおもちゃ箱のようだ。次々にいろいろなものが現れ楽しませてくれる。ここはパシュパティナート寺院というジャイナ教の寺だ。紀元前5~600年頃ヒンドゥーから分かれた宗教、総本山はデリーの西ラジャスタン州ジャイプールだそうだ。20の神をまつり、24の聖なる動物をあがめる。信徒は富俗階級が多く、寺院も豪華絢爛、参拝者も身奇麗な人が多い。

  寺院の壁は一面ガラス細工の幾何学模様に覆われ、華やかなステンドグラス、大理石を使用したレリーフで装飾されている。せいぜい200平米程度のこの建物を建てるのに25年が費やされたというのも頷ける。139年間火を絶やさずともし続ける灯篭、大きなシャンデリアも見事だ。

  

しつこい様だが、最後にまた牛の話である。気になるのは、のら牛君たちをどうやって都会から追い出したかだ。まさか聖なる動物を殺傷するはずは無く、一頭一頭時間をかけて追い立てたのだろうか?それは大変な労力だろう。それに彼らは残飯を漁って生きていたのだから、繁華街から郊外へ出たら、まず食糧難に陥るだろう。その結果彼らがえさを求めて再度上京しなかったのか?その場合どうやって阻止したのだろうか?上京する牛専門の関所を設けて人間が番をするのはあまりに情けない。それに関所の向こう側は牛のおのぼりさんが大きな群れとなって混乱をきたすだろう。彼らの行く末を思うとどうも寝つきが悪い。もっともこれから空港に向かい、深夜便で発つ身であるから、どのみち大して眠れないのだが・・・・


コルカタ 1

 地下鉄のホームにいる。ホームの時刻表示が722、次の南行き出発案内が719

  せっかくデジタル表示にしたのだから、オンタイムに対応して欲しい。まさか手動ではあるまいな。今表示がかわったが、出発は734。早朝なので本数が少ない。

  入ってきた列車はさすがインド、国産車である。純国産車のアンバサダー、TATAバス、国鉄車両などと同様、古めかしく重厚で私の好みだ。この時間は通学姿が目立つ。

  

  カーリー寺院にやって来た。拒否するつもりが、根負けして寺院のガイドに案内されている。しかし説明を受ければそれなりに興味深い。

  まずご本尊のカーリー神(女性)を拝み、正面のダンナ、シバ神にもご挨拶。有名な寺院だけあってりっぱな本尊だ。早朝の儀式(殺戮)は見られなかったが、カーリー寺といえば生贄である。すでに息絶えた羊が横たわっている。ここでは黒い羊だけが生贄として受け入れられる。羊さんも黒い色に生まれたがために早死にの憂き目に会う。さぞや黒い肌(いや羊毛)に生んだ母親を恨んでいることだろう。羊種差別という言い方もある(ないか)。

  カトマンズ(ネパール)のカーリー寺院は白い羊でも鶏でもなんでもござれであったが・・

  寺の片隅では、生贄に供された羊の皮をはぎ、今おなかを割って内臓を引き出しているところだ。この肉は寺院内で調理され、夕方4時に院内の沐浴場にて貧しい人々に振るまう。沐浴場正面にはシバ神の像がありそこでお祈りの真似をさせられる。次に、像の脇にある小さな帳面に記帳を求められ、開いたページには寄進記録がある。そこには名前、国籍、寄進額が記されているという寸法だ。アダム何とやらオーストラリア、ジョージ何やらイングランドなど。その隣に2000ルピーから3,000ルピーくらいの金額が添えてある。いくら信仰の厚い人でも、誰がはるかインドの異教徒寺院に何千ルピーも寄付するのか?明らかに私文書偽造に抵触する。

  素直に、この金額は馬鹿げていると感想を伝え、ゼロでは大人として気恥ずかしいので50ルピーと記帳した。表記はRs50なので、今頃ゼロがふたつ書き足されているはずである。小切手式に右側にOnlyとつければ尚良心的だった。

  また、ちかくに石のかけらがたくさん縛り付けてある樹齢300年(のわりに細いが)のご神木がある。この石ころはガンガーの中から拾って持参し、このご神木に願をかけるのだそうだ。そしてその願いが成就したとき、お礼の祈りを捧げ、また元どおりガンガーへ持って帰るとのことだ。まったくご苦労様であるが、石に願いや名前を書き込むわけでもなく、びっしり縛りつけてあるただの石ころの中から自分の石を判別するのには苦労するだろう。もし間違えて他人の石をガンガーに返してしまったら、自分のお礼参りも無駄になるだけではなく、他人の願いも無に返してしまうという罪を犯してしまう。願い事どうしの混乱も招く。神様もどの願いを聞いていいものやら訳がわからなくなるに違いない。

 

  次はどうしてもハウラー橋である。牛、牛車、人力車、オートリクシャ、バイク、バスやタクシーがひしめき合って、まさに混沌の世界を象徴する風景を見て、インドを更に実感したも、の、 - だったのに。あーここからも牛と人力車が締め出された結果、車道を走る車はすいすい流れている。駅構内に住んでいたたくさんの乞食さんも追い出されたらしい。コルカタ三種の神器、①野良牛 すでに都会からは姿を消した ②リキシャ(人力車) 新規の許可を廃止しているので、人力車夫が年老いて引退するごとに消えてゆく ③乞食さん は減るはずも無く、地域限定の営業になったのか?しかし繁華街あっての乞食生活ではないのか?(これは牛にもいえるが)

 少々手持ちのルピーが心もとないので、通りすがりの銀行へ寄ってみた。外貨両替は扱っていないらしいのだが、行員さんがマネージャーに聞いてみろとおっしゃるので従った。できないならそれでよいのだけれど、ものを尋ねた以上従うしかない。マネージャー氏も、「扱っていない。両替やさんへ行ったら?」ここで引けば良いのに「その場所を知らないので・・・」と一応甘えてみると、考えた末「支店長あてにレターを書きなさい」「はあ、レターですか」事情は解らぬが甘えた以上言うことを聞くべきで、ビジネスレターもどきの英文で、「両替を取り扱っていただける様お願いします」と記すと、これで何と手続をしてくれたのである。しかも必ず発生するはずの手数料も引かずに。通りすがりの者に対するこの生真面目な態度は今時どこの国へ行っても中々お目にかかれないだろう。頭が下がる想いとはこのことだ。

  昼食後、カルカッタ大学内のアシュトーシュ博物館へ何とかたどり着く。大学のコレクションとしては秀逸で、数百年前からの彫刻・絵画・サリーなど目を見張るほど美しいものがごろごろある。中でもビハール州出土ビシュヌ神の彫刻(百点以上ある)のひとつは、えもいわれぬ美しい表情を湛え、その場でキスしたくなるほど崇高なお顔であった(崇高とキスはそぐわない気もする)。ビハール州は仏陀が悟りを開いたという聖地があり、仏教文化が大きく花開いた。バラナシの女性サドゥの顔も彷彿とした。

バラナシ→コルカタ

 夜中のバラナシ駅である(移動はいつも夜中だな)。乗り継ぎ客なのか駅に住み着いているのかまたは死んでいるのかよくわからない、布ぐるみの人たちであふれている。この間この駅に降立ったとき、長時間の移動でぼうっとして歩いていたら寝ている人に躓きそうなり、怒られた。私の不注意も責められようが、黒ずんだ布を引っかぶって保護色の昆虫状態で通路に寝ているのもなあ・・・・

  東南アジアからやって来て切実に感じるのは、皆一生懸命だということ。自然や社会制度が過酷だからというのが第一の前提だが、喜捨を求めるのも少しでも高くサービスや商品を売ろうとするのも、それがストレートであればあるほど、生きるための精一杯の努力と感じてしまうのは、あまり贔屓目に過ぎるだろうか?

  実り豊かな東南アジアでは、同じように金銭を求められても、どうも努力せずに楽をするための行為と捉えてしまう。それはそれでごく自然なことではあるのだけれど。さらにインドの人たちへ肩入れするのならば、突き詰めるとこれはプライドの問題であるような気がする。通りすがりの私には、カーストにより職業や身分が細分化されている社会において、皆その職業や身分を全うしようとしているように見える。人間の本分、職業の本分を守る人たちがする金銭交渉は、全くもって正当な行為だ。たかが旅行者の感傷だと認めたうえで、やはり私が生活を根ざす東南アジアの国、長く住み続けても外人は外人と区別され、結局のところよそ者扱いをされる国とは異質である。インドでは、見た目だけでどうしても目立ってしまう日本人ながら、一般人からそれ程外人として特別に扱われているとも感じないし、皆が正面から議論を仕掛けてくる、それぞれが誇りを持って接してくることが小気味良い。

  

  零時過ぎからこのホームにいるのだが、午前145分発定時のシアルダー・エクスプレスが到着したのは午前3時、布に包まって眠っている人、車座になって話をする家族、尿意をもよおすと最短距離でホームから立ちションしてしまう男性など皆至って気ままな様子である。

  到着した列車のそれぞれの車両には、大きな文字でクラス分けが表示されている。しかし私が目指すA/C Tier Sleeper(エアコン2段寝台)の車両は見当たらない。長い列車を端から1往復して確かめたが、やはり無い。

  焦りだすと必ず現れる車掌さんに聞くと、「2Tierは無い」「そんな~~」とそこだけ日本語で言ってしまったが、予約記録は存在し、3段寝台の車両へ案内される。料金が違うはずだが、ごねてホームに一人取り残されるかひとつ下のクラスに乗るか?考えるまでも無く案内された寝台に落ち着く。よく見ると3段の中断を折り畳んだ形ですべて2段寝台となっているので納得。ではなくて段数はどうでも良いが通路やお向かいの乗客との仕切りであるカーテンがありません。環境は大違いです。カプセルホテルの壁が無くてただの雑魚寝だったら料金払いますか?とはいえやはり受け入れる以外に道は無く、シーツ、毛布を整え直後に眠ってしまった。あとで気づくが外気温15度の中でバッチリ利かせたエアコンは、またしても拷問である。死ぬほど寒かった。が幸い一昨日処方してもらったインド伝統医学アユルヴェーダ系の風邪薬はインド国鉄のエアコン攻めにも負けないようだ。仕切りが無いため貴重品鞄を胸にしっかり抱いた体勢で毛布に包まり、朝まで熟睡した。

  1時間半遅れでコルカタ、シアルダー駅着。メインの玄関口ハウラーに比べるとこじんまりとして静かなところだ。人ごみも商店も見当たらない。いきおい少ない客と少ないタクシーの間で駆け引きが続く。やがて同乗の客も現れ出発し、昨日予約したYMCAへ。

  一休みの後、チョウリンギー界隈へ出てみると、昔に比べかなりこぎれいな商店街になっており、人いきれを楽しみに来た身には少々物足りない。サダルまで足を伸ばしてみて、

 驚いたのは、バックパッカー(我々の時代はヒッピーと言われた)の1番の溜まり場、かつては小屋がけの露店だったブルースカイ・カフェもガラス張りの綺麗な店になっている!!清潔なコルカタなんて、許せない!って私は不潔な場所の愛好家だったのか。

  のら牛がいない。客引きおじさんがいない。やはりヘンだ。かつてはインドに慣れるに従い、客引きが往来するサダルがいやになり、仏教協会の僧坊で寝起きするようになった。

  しかしそれは鬱陶しいサダル界隈があるという前提で避けていたので、無くなって欲しかったわけではない。本家本元がスマートになってしまっては避ける意味も無い。わがままな理屈だが、この街の喧騒、実りの無い論争をしなければならない憎めない人たちに、やはり愛着を感じていたのだろう。

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