長崎 | Asuka's Diary

熊本での演奏会が終わり、

皆で車で長崎まで移動しました。

この日、浦上天主堂で「メサイア」を歌うために

全国から130人の合唱人が集まりました。

合唱部分は、前日2時間、当日45分だけのリハーサルというタイトなスケジュールでしたが、

私も20年振りくらいに歌うことにしました。

すっかり忘れてるだろうなと思いきや、

学生の時に1年かけて練習したので、身体に染み込んでましたニコニコほっ♪

(練習してから長崎に来いよ、と突っ込みがありそうですが、そのような時間は全くありませんでしたね笑い泣き


「メサイア」を再び歌えたこと、

ヘンデルの音楽にどっぷり漬かれたこと、

パイプオルガンのサウンドを後方から浴びまくったこと、

素晴らしいソリスト、トランペット、チェンバロ、オルガンと共演できたこと、

主催者の熱い熱い思いを受け取れたこと、

合唱を愛する方々の生き生きとした表情を見て嬉しくなったこと、

知らない方々と声を合わせて歌ったこと、

浦上天主堂で音楽を創造できたこと、

昔、取手で教えていて、長崎に転居したレッスン生が聴きにきてくださっていて、あの広い広い会堂で偶然お会いしたこと(びっくりしたー!)、

たくさんのお客様が聴きに来てくださったこと、

などなど、、、まだ書きたりないくらい、

感激しましたおねがいキラキラ



丘の上で、青空に映えます。


今回のチラシとプログラム。


合唱練習中。


通路中央のチェンバロより後ろ側が合唱団で、
祭壇側がお客様です。


ソリスト、器楽の方々拍手


浦上天主堂は言わずと知れた、日本最大規模のカトリック教会です。

ヘンデルが「メサイア」を作曲した1741年、

日本では八代将軍吉宗の時代、

現在の浦上天主堂が建っている場所には庄屋があり、絵踏が行われていました。

19世紀になり、信徒たちがその場所に教会を建てたそうです。

その経緯については「おらしょ こころ旅」に下記のような記述を見つけました。


なぜ、絵踏みをした場所に教会を建てたかったのだろうか。それは、浦上の信徒たちにとってその場所に祈りの家を建てることが、神への償いだったからである。禁教政策の中、キリシタンはみな胸を痛めながら踏絵に足をのせた。親は子どもに「踏まなくてはいけないが、そっと踏むんだぞ、できるだけ真ん中は踏むなよ」と諭したという。そして家に帰るとコンチリサンのオラショ(懺悔の祈り)を唱え、泣きながら足を洗った。絵踏みが行われた場所に聖堂を建てるのは、迫害に耐えた先祖の歴史を忘れないためでもあるのだ。


なんということでしょうね

ヘンデルが「ハレルヤ!」と神を賛美する音楽を作った、その同じ地球の裏側では、

このようなことが行われていたとは


1895年から建築が始まり1925年にようやく完成した浦上天主堂は、

1945年の原爆で、破壊されてしまいます。

爆心地からわずか500メートルの距離でした。