でも、百はある。 | Asuka's Diary
講習をしていて常々、思いますが、
小学校3年生くらいの学級の雰囲気は、
担任の先生の影響が大きいです。

教室に入った瞬間にわかりますね。
ビシッと整列していて、
ぴーん、と空気が張りつめている学校と、
ざわざわ、ガヤガヤ、走りまわっている
学校もありますからDASH!

けれど、騒がしくて、収拾がつかなくなる…
というのは困りますが、
先生が厳しすぎて、
笑うことも出来ない、とうのは
もっと困る。

笑っていいのかな、感動を表情に出していいのかな…と、
担任の先生の顔をちらちら見て、
様子を伺う子どもたち・・・ちょっと気の毒ですね。

いい雰囲気の学級だったな…と感じた時の担任の先生は、
子どもと一緒に笑える、驚ける、感じられる…
そういう先生である事がほとんどです。
子どもと気持ちを共有出来る。
さらにすごい先生は、子どもたちの内々の感情を
引き出しちゃいます。
率先して、「わぁ、すごいね!みんな!」
みたいに、子どもと一緒の気持ちを持てる先生、
いらっしゃるんですよね‼

3年生くらいには、そういう先生がいいんじゃないかな、
と思うのです。
そういえば、私の先生は、どうだったかな…と、
考えたりしました。

保育教育で有名な、
北イタリアのレッジョ・エミリア市の
ローリス・マラグッツィの詩を思いだしましたので、
ご紹介したいと思います。



《でも、百はある。》

子どもには 百とおりある。
子どもには
百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり
理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界
発明するのに 百の世界
夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある
…それからもっともっともっと…

けれど九十九は奪われる
学校や文化が 
頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にはならないものだと

つまり百なんかないと言う

子どもはいう
でも 百はある