アシュタンガヨガでは、アサナを練習しながら、「自分を眺める」ということを行なっている。
自分の意識は逸れていないか?
余計なことを考えたり、隣の人のアサナを気にしたりしていないか?
など、自分を観察しながら、常にトリスターナへと意識を置くようにしている。
時間、お金、アテンション(注意や意識のこと)。
これらは限りある重要な資源である。
私はいま、自分の生活を根本からデザインし直そうとしている。
その一環として、自分が普段、何に意識を向けて生きているか、自分の「アテンション」のあり方をチェックすることにした。
アテンションは決定的に重要である。
時間の価値もアテンションとの関係で変化する。
同じ30分という時間でも、集中しているか否かによって、主観的な心地よさだけでなく、客観的なパフォーマンスも変わってくる。
自分にとって本当に大切なことに対して、できるだけ多くのアテンションを割きたいと思う。
アサナの練習を通して身につけた「自分を眺める」というメソッドは、自分のアテンションを把握するためにも有効である。
「いま自分は何をしているのか?」「何に意識を向けているのか?」を知るために、マットの上と同様に、自分を観察すればよい。
タイム・マネジメントならぬ「アテンション・マネジメント」をアシュタンガヨガの学びを通して行うということである。
これをやっていて、1つ気づいたことがある。
私はコワーキング・スペースで仕事をすることが多いが、コロナ対策の一環として、そのスペースに入るときは、手を消毒することになっている。
専用の機械から噴霧されるアルコールを手で受けたら、両手をこすり合わせて全体になじませる。
そのとき、自分が別のことをしていることに気がついた。
両手をこすり「ながら」、部屋の中をキョロキョロと見渡して、「今日はどこに座ろうかな?」と考えていたのである。
両手にアルコールを広げるという行為をマインドフルに行わず、「座席を探す」という次の行為をすでに始めてしまっていた。
この瞬間は、なんとなくしんどいというか、微かな不快感があったし、手をこすりながらあたりを見回している私の姿は、カッコいいものではなかったと思う。
ただし、今回は「ながら」の是非について議論したいわけではない。
アシュタンガヨガで学んだ自己観察の手法は、アテンション・マネジメントに有効であると言いたいだけである。
「アルコールを両手に広げる」のは、ほんの数秒であり、極めて短い時間である。
しかし、上記の手法を用いることで、このような瞬間的なアテンションのブレにも気づくことができた。
「アテンション・マネジメント」はしばらく、私の重要なテーマになりそうなので、また別の記事でも書きたいと思う。
On the mat での学びを Off the mat でも活かすことができたら、とても嬉しい。