アシュタンガヨガのアサナは、どのような過程を経て上達していくのだろうか。

 

次の3段階があるのではないか。

 

(1)とにかくやる段階

(2)コツを探りながらやる段階

(3)何も考えずにアサナが取れる段階

 

(1)は、アサナの形を作ろうとすることに必死であり、自分の内側の感覚に意識を向けることができていない状態である。アサナを「やる」ことだけが念頭にあると言えるだろう。

 

(2)は、体の感覚に意識を向けており、どうすればアサナがやりやすいか、どうすればもっと上手くできるかと考えながら練習している状態である。内側に生じる感覚を味わってはいるものの、まだまだアサナを「やる」ことを目的にしていると言えるだろう。

 

(3)は、そのアサナについて十分に熟練しているので、どうすればアサナができるかといったことを考える必要がない状態である。考えなくてもアサナが取れるので、「アサナができた」という「結果」を生じさせようという意識はない。アサナを「やる」のではなく、アサナを通じて自分を感じることだけに集中できる段階である。

 

 

 

このような3段階について、アサナができたという「結果」にどれくらいフォーカスしているか、あるいは、アサナを取ろうとする「プロセス」をどれくらい味わっているかというそれぞれの比率で表すならば、以下のようになるだろう。

 

(1)とにかくやる段階(結果:プロセス=100:0)

(2)コツを探りながらやる段階(結果:プロセス=50:50)

(3)何も考えずにアサナが取れる段階(結果:プロセス=0:100)

 

ここではざっくりと3段階に分けている。(2)の範囲は広く、30:70 などになることもあるだろう。

 

 

 

普段の練習では、(1)から出発して、(3)の段階に到達することを目指している。アサナを「やる」意識をできるだけ排除して、アサナを利用することで自分の内側に生じる感覚、刻一刻と変化する自分の感覚を眺められるようになることを目指している。

 

しかし、(3)の段階に到達しないと、内側を味わえないというわけではない。

 

できるだけ早く(1)の「100:0」の段階から脱出し、わずかでもプロセスを味わえるようになったら、たとえば「95:5」になったら、ヨガの練習が始まったと言えるだろう。

 

 

 

そのためにも、(1)の段階では、「とにかくやる」ことが重要である。

 

逆説的ではあるが、内側の感覚に多少なりとも意識を向けられるようになるためには、そのアサナに対する最低限の慣れが必要であり、そのような慣れを得るためには、ただ「やる」ことが求められる時期があるだろう。

 

そのような時期では、あれこれ考えず、ひたすら毎日練習するだけでよいだろう。そして、最低限の慣れができたとき、アサナは(2)の段階に移行し、自分の内側と対話しながら、体の使い方を探れるようになるだろう。

 

 

 

今朝の練習では、ヴァーターヤナ・アサナをしながら、このような着想を得た。

 

このアサナについては、(1)から(2)の段階に変化しつつあるように感じる。

 

「とにかくやる」という(1)の段階をもう少し続けて最低限の慣れを獲得し、ヨガの練習として、ヴァーターヤナ・アサナに取りくめるようになりたい。