アシュタンガヨガを長く続けていると、モチベーションの波が出てくる。
やる気に満ち溢れているときもあれば、練習が辛いときもある。
このような意欲の波には、どのように対処すればよいだろうか。
「ベース」と「表面」の2層に分けて考えるとよいだろう。
「ベース」というのは、一貫して変わらない自分の基本的な態度のことである。
たとえば、私の場合なら、アシュタンガヨガが好きであり、生涯、練習を続けていきたいと思っている。これが自分の「ベース」である。
一方、「表面」というのは、そのときどきで変化する態度のことである。
コロナの影響でシャラに行けなくなったので練習しづらいとか、特定のアサナでずっと止まっていて悔しいとか、あるいは逆にものすごくやる気があるので、1日に2回練習したいとか、そのようなものである。
練習を続けていて、自分のモチベーションが低下していると思ったときは、自分の「ベース」を確認するとよいだろう。その上で、「表面」の変化については一喜一憂せず、むしろそれを楽しむくらいの態度で臨むとよいだろう。
最近、アシュタンガヨガに対する自分のモチベーションが揺らいでいたのだが、自分の「ベース」を確認することで、安心できた。
アシュタンガヨガは自分が知っているものの中で、もっとも素晴らしいものであると今でも思っているし、単純に好きなので、これからも練習を続けていきたい。これが自分の「ベース」だと確認できた。
ベースが確認できれば、「表面」の変化に振り回されることはないだろう。
家で練習するしかない不便さとか、練習が深まってきたからこそ直面する辛さのようなものはすべて「表面」であり、「ベース」を侵食することはない。
「表面」の変化については評価を行わず、「今日はそういうふうに思うんだな」「いまはそういう時期なんだな」と、ただ眺めておけばよいだろう。
そして、自分の「ベース」に応えていく行動が「習慣」である。
「ベース」というのは理念レベルのものなので、それだけでは不十分である。
「ベース」という自分が大切にしている思いは、行動で形にしていく必要がある。
その支えとなるのが習慣である。自分の場合なら、朝起きてすぐにアシュタンガヨガの練習をするというのが「習慣」であり、これが自分の「ベース」と対になっている。
普通に考えると、今日はしんどいとか、練習が辛いとか、そういった「表面」の変化によって、習慣は影響を受けると思うかもしれない。
しかし、そうではない。アシュタンガヨガと長く付き合っていくうちに、様々な「表面」の変化に直面する。そういった表面的な変化に左右されないためにこそ、「習慣」を維持する。
練習が楽しめない日があったとしても、毎朝マットの上に立つ。そのような習慣によって、自分が大切にしている「ベース」に応えていくことができる。
正直に書くと、今日は目が覚めたとき、練習したくないなと思った。
ベッドの中でもっとグズグズしていたいなと思ったが、ひとまず起きて歯を磨き、そのまま練習を行った。
セカンドシリーズを練習して、とても気持ちよくなった。
私自身、こんなふうにして練習を続けている。
そうこうしているうちに、苦手だったピンチャ・マユラ・アサナができるようになってきた。
逆立ちの安定感も高まってきたし、これまでまったくできなかった逆立ちの状態から腕を抜いてチャトランガに入ることもできるようになってきた。
練習を続けていれば、少しずつ改善していく。
自分の「ベース」を確認して、それに「習慣」で応えていく。
「表面」の変化に一喜一憂せず、モチベーションが高くても、低くても、ただそれを眺めて練習する。
まだまだアシュタンガヨガの旅は終わらない。これからが楽しみになってきた。