ウルドゥヴァ・ダヌラ・アサナは、3回までしかやらないことにした。

 

もともとのシークエンスでは3回となっているが、これまでは、もっとたくさんやることもあった。

 

しかし、「ノンストップでアサナを進めていく」ことを最近は重視しているので、ウルドゥヴァ・ダヌラについても、標準的な回数だけ行うことにした。

 

 

 

シリーズに登場するすべてのアサナを、同じような意気込みで行いたい。

 

得意なアサナもあれば、そうでないアサナもあるが、同じように向き合いたい。

 

心の中にある、変なリキみを取りたいと考えている。

 

自分が練習しているすべてのアサナについて、何も考えず、特別な意図を持たず、スッと行いたい。

 

 

 

練習のはじめに太陽礼拝をするときは、準備体操などは行わず、何も考えずにヴィンヤサを始める。

 

この感覚が極めて重要であり、これをすべてのアサナについてできるようになりたい。

 

 

 

アシュタンガヨガは、念仏と似ている。

 

何かに集中することで、頭の中の雑念を追い払おうとしている。

 

アシュタンガヨガでは、念仏の代わりにヴィンヤサをすることで、これを実現しようとしている。

 

 

 

特定のアサナに対して「こだわり」があるというのは、雑念を自分で作り出しているようなものだ。

 

そのような「こだわり」は、念仏としてのアシュタンガヨガが目指しているものとは対極の位置にある。

 

自分で自分の足を引っ張ってはいけない。

 

 

 

私がウルドゥヴァ・ダヌラ・アサナを何度もやるのは、その次に出てくるドロップバック等に「こだわり」があるからである。

 

そのような「こだわり」を手放すため、ウルドゥヴァ・ダヌラ・アサナは3回までにすることにした。

 

ドロップバックだろうが、その他のアサナだろうが、どんなアサナであろうと、ニュートラルな心で臨む。

 

それが自分の課題である。