最後まで息を吸い切って、吐き切る。
そのような呼吸を、動きの始点から終点まで、ぴったりと同調させる。
両者を完全に一致させることが「ヴィンヤサ」であることを学んだ。
たとえば、太陽礼拝なら、サマスティティヒからイエカムで息を吸いながら両手を上に伸ばしていく。動作の終点では、両腕が真上で目線は親指だが、ここでちょうど、MAXまで息を吸い切るようにする、ということだ。
かなり難しい。シンプルだが、相当な集中力が必要だ。「昨日は嫌なことがあったな」とか「練習が終わったら、進々堂のパンを食べながらコーヒーを飲もう」などと別のことを考えていては、不可能だ。
息を吸い切って、吐き切るだけでも難しいのに、そのような呼吸を、動作の始点から終点までぴったりと合わせていく。余計なことは考えない。ヴィンヤサは「今を生きる」を本当に実践して初めて可能になると思った(心→体:ヴィンヤサ)。
同時に、ヴィンヤサがあるから、毎日マットの上で「今を生きる」ことができるのだと思った。
普通に生活していると、いろいろなことがある。常にベストな心理状態で練習に臨めるわけではない。しかし、呼吸と動きを完全に一致させようとするならば、その他の思考は消失する。
ヴィンヤサのためには、最大限の意識量が必要なので、それ以外の問題は意識の外に追い出されてしまう。あらゆる不安や思考から解放される。ヨーガ・チッタ・ブリッティ・ニローダハということだろう(体:ヴィンヤサ→心)。
毎日、マットの上に立つ。気がかりなことがあっても、ヴィンヤサを意識して、ひとまず集中する(心→体)。ヴィンヤサができれば、思考から解放される(体→心)。さらにヴィンヤサができるようになる(心→体)。心と体のポジティブ・フィードバックだ。
感動した。アシュタンガヨガのことがますます好きになった。