ヨガとは何か。
シンプルに考えるなら、下の図のように表現できるのではないだろうか。
心と体の双方向の因果関係(①と②の矢印)を前提として、どんなときでもリラックスできるようになるために(心が最終目的)、体の操作に意識を向けつつ(③の矢印)、生き方を見直していく(④の矢印があるから見直す)のがヨガではないだろうか。
まず、各要素について説明する。
「心」というのは、気分や感情といった一時的な心理状態から、ものごとの捉え方のような長期的に持続する心理特性までを含めている。
「体」というのは、身体的な健康という意味だけでなく、「アサナが綺麗にできている」といった「形」に関する意味がある。
「テクニック」とは、広い意味での体の使い方のことで、アライメント、呼吸、バンダ、ドリシュティなど、意識的に行われる身体的な操作のことを表している。
「生き方」というのは、単なる生活習慣という意味ではなく、その人にとっての「生きる意味」、「根本的な価値観」、「世界観」、「パラダイム」という意味で使っている。当然、このような次元での生き方が変われば、日々の行動レベルでの生き方も変わるだろう。
次に、要素どうしの関係について説明する。
①の矢印は「体が心に影響する」という意味だ。「練習したら気分がよくなった」という一時的なものから、「体が柔らかくなったら、考え方も柔軟になった」という長期的な変化も含む。
②の矢印は「心が体に影響する」という意味だ。たとえば、「『今日は調子が悪いからアサナはできない』と思っていたけど、それは自分の思い込みに過ぎないのだと気持ちを入れ替えて、恐れずにトライしてみたら意外と上手にできた」などである。
考え方が変わるとアサナも変わるということで、グルジの「Body not stiff, mind stiff(体が固いんじゃない。心が固いんだ)」というのも、②の矢印に関するものだと考えられる。
他にも、イライラしていたり、焦ったりしていると、アサナに悪影響が出るというのも②の矢印に含まれる。
③は「テクニックによるアサナの変化」という意味である。たとえば、「カポタ・アーサナでは下半身が重要で、足にしっかりと力を入れると、きれいに背中を反らせやすい」などである。
④は「生き方が変われば、心が変わる」ということだ。例を挙げるなら、「それまでは『結果』が大事だと思っていたから、成功することにこだわっていたけど、結果に至るまでの『プロセス』こそが重要であると気がついた(世界観の変化)。そうすると、毎日の仕事にも一生懸命に取り組めるようになった(行動レベルの変化)し、気持ちもラクになってきた(心の変化)」などである。
「ヨガはスポーツではない」、「ヨガはアサナだけじゃない」というのは、「ヨガは③だけではない」ということを主張している。テクニックとアサナの関係について考えるのは非常に楽しいので、のめり込んでしまいがちになるが、そこだけになってしまうと、それはヨガとは言えなくなる。
「ヨガを練習している」というときは、上記の4要素と4つの関係すべてについて練習しているということだ。
「ヨガを教えている」というならば、4つの要素と4つの関係すべてについて指導できるということだ。
かなりハードルが高い。練習生にさえなれないかもしれない。しかし、だからこそやりがいがある。ヨガというのは、健康のための単なるエクササイズではないし、結果を争う競技でもない。人生を通して実践していく壮大なプロジェクトだと言えるだろう。
なお、ここでの記述は、自分が現時点で考えたことを書いているにすぎないので、間違っているかもしれない。来週は違うことを言っているかもしれないし、参考程度に読んでもらうのがよいと思う。
特に、ここで取り上げていない重要な要素があるかもしれないし、要素どうしの影響関係は他にもある可能性が高い(体→生き方など)。
ひとまず現時点での考えをまとめておいた。引き続き考えていきたい。