【本のお話。】
★さて本日はイギリスの作家であるコリン・ウィルソン先生の著作物を、読破したいナできるカナできないなんて言わないで、言ってちゃナンにも始まらないってそういう企画の続きです。
この名前をご存知の方には、殺人や魔術や超科学の分野に関するウサンくさい本を書いてるってイメージのある作家だと思うんですが、ええ当たらずとも遠からずです。
但しチマタに溢れる、ホンマモンのアレな方たちとは路線を異にしてる作家さんなんで、その汚名をススいでやろっカナとネ。
タイトルがタイトルですから、ニワカには信じられないかも知れませんが、ホントです。
ホントにゼッタイ想像するよりは、マトモな本ばっかなんですヨ。
というワケで今回ご紹介する本も、かなりブっトんだタイトルではありますけども、恐れずヒルまず興味を持っていただけると嬉しゅうございます。
コリン・ウィルソン『 至高体験 — 自己実現のための心理学 』
( Colin Wilson “ New Pathways in Psychology ” )
わたしが読んだのは河出文庫版で、1998年の初版です。
原書は1972年、国内版ハード・カバーは1979年に、同じ河出書房新社から発行されました。
翻訳は、由良君美と四方田犬彦のお二方が担当しています。
タイトルにある“至高体験”とは、心理学者のエイブラハム・マスローの著作にある、“ピーク・イクスペリエンス”の訳語。
フとした瞬間、健康な人々の間には度々訪れる、幸福感を伴う絶頂感に似た“至高体験”。
本書はマスローの著作にある彼の主張と、この感覚に焦点を当て、ヒジョウにわかりやすく解説した本です。
エイブラハム・マスロー(Abraham H. Maslow/アブラハム・マズローとも)は、アメリカの心理学者です。
精神的な病気や病理を分析する「精神分析」や、内的/心的状態に依らない唯物論的な「行動主義心理学」とも違う、健康人の心理学「人間性心理学」の確立を目指しました。
人間の欲求の段階/階層を主張した、通称“マスロー欲求階層説(自己実現理論)”が、有名な論説。
著作内容はより普遍的で人間的な心理学を目指すモノで、教育学や倫理学、経営学など多岐に渡る分野に影響を与えました。
★さてコレを読んでいただいている方のアタマには、当然のゴトく“で、至高体験ってナンなの?”って疑問が、浮かんでいるコトでしょう。
コレはひと言では説明しずらいんですが、かと言ってよくこのテの本にあるイカガワ悟りや解脱といった用語とは関係がありません。
と言うのもこの感覚は、主に心身ともに健康な人間に、日常的に起きる現象のコトを指しているからです。
ほとんどダレにでもある体験ながら、ソレについて自覚したり、他人と共有したりする機会はまったくありません。
ではその体験とはどんなモノなのか、本書の中からその事例を抜粋してみましょう。
“若い母親が台所をせわしげに動きまわって、夫と子供たちの朝食を作っていた。太陽が降り注ぎ、清潔できちんとした服装をした子供たちが、食事をしながらお喋りをしていた。夫は何気がなしに子供たちと遊んでいる。彼らのありさまを眺めていたとき、母親は突然に圧倒されたのだ。その美しさに、また彼らへの自分の大きな愛情に、すばらしい幸福の気持ちに。こうして彼女は至高体験に参入していった。”
“ジャズ・バンドでドラムを叩きつつ苦学して医学校を出た若者が、かなり後になって報告してくれた。ドラミングの間に三回至高の頂点に達したと。そのとき彼は自分が偉大なドラマーであり、また演奏が完璧であったと感じたのであった。”
上記の例をご覧いただいて、既にもうおわかりですネ。
つまり理由はサダカではないけれど、ナンだかムヤミやたらと嬉しくなって、幸福感に包まれてワレを忘れちゃうような瞬間です。
ジ~ンとしてグワ~ンとしてフンガ~となる瞬間、そう言えば、ミナサマにもケッコウある体験だと思います。
ワタシはゲイリー・シェローンを思い浮かべると、イッパツです。
今回ご紹介する本作ではマスローの著作で触れられているこの“至高体験”をキーワードに、彼の思想と研究を読み解いています。
ウィルソンちゃんの解説によると、この体験に欠かせない重要な要素は、精神のカンペキな集中だそう。
で、ソレには広い視野と高い視点を持ち、現実への拡張感覚、『失われた時を求めて』で言うマドレーヌ感覚を持つコトが大事だと。
センセがマスローの主張と考え合わせて、更に独自の調査/研究を統合すると、この“至高体験”をヒンパンに持つ人間ホド様々なコトガラを成し遂げられるそうなんですナ。
んまあコレがホントかどうかハッキリと名言できませんが、実際にマスローの心理学が教育学や経営学など世界的に受け入れられている事実を思うと、アナガチまったくのウソでもないと思われます。
“自己実現”や“上昇志向”ってコトバ、個性派草食系のワカモノがカッポする今の世の中で、イヤにケ嫌いされてる感があります。
モチロンそういったモノに嫌悪感を持ってしまう背景も、わからないのではないのですが、本来はとっても前向きでステキな考え方。
もしミナサマがいつか、こういう志向性に興味を持ったなら、本書やマスローじしんの本を読んでみるコトをオススメいたしますヨ。
★最後にこの悪趣味ブログを読んでいただいた方が、コリン・ウィルソン大先生の著作をゼヒ実際に読んでみたい!と思えるように、本作とはナンの関係もないトットキの情報をお伝えしましょう。
コレはウィルソン先生の人柄を表す、思わずホッコリのエピソードで、巻末の四方田犬彦による『文庫版によせて』に記されてます。
内容はズバリ、「ウィルソン先生の二日酔いの直し方」。
“二日酔いになったら、シャンペンを呑むとか、サウナに入るとか、そんな姑息な手段に訴えてはならない。立ち向かう方法はひとつ、断固として二日酔いなど存在しないと信じて、一日をいつも通りに行動することだ。やがて夕暮れになって、すべてを前日通りにし終えたとき、人は二日酔いを克服できたと知る。しかしそれは、そもそも二日酔いなどなかったのだ、と宣言することと同じではないか。”
・・センセイったらオモシロすぎます。
こういう極端すぎる断言、ワタクシ、キライではございません。
恐らく今週末も、毎度ながらの二日酔いにはなると思いますので、ゼヒこの方法をワタシも試してみようと思います。
コレがセンセイ以外の人間に、通用するかはわかりませんけどネ。
ホントに効果がありましたら、ミナサマにもご報告いたしますネ。
★さて本日はイギリスの作家であるコリン・ウィルソン先生の著作物を、読破したいナできるカナできないなんて言わないで、言ってちゃナンにも始まらないってそういう企画の続きです。
この名前をご存知の方には、殺人や魔術や超科学の分野に関するウサンくさい本を書いてるってイメージのある作家だと思うんですが、ええ当たらずとも遠からずです。
但しチマタに溢れる、ホンマモンのアレな方たちとは路線を異にしてる作家さんなんで、その汚名をススいでやろっカナとネ。
タイトルがタイトルですから、ニワカには信じられないかも知れませんが、ホントです。
ホントにゼッタイ想像するよりは、マトモな本ばっかなんですヨ。
というワケで今回ご紹介する本も、かなりブっトんだタイトルではありますけども、恐れずヒルまず興味を持っていただけると嬉しゅうございます。
コリン・ウィルソン『 至高体験 — 自己実現のための心理学 』
( Colin Wilson “ New Pathways in Psychology ” )
わたしが読んだのは河出文庫版で、1998年の初版です。
原書は1972年、国内版ハード・カバーは1979年に、同じ河出書房新社から発行されました。
翻訳は、由良君美と四方田犬彦のお二方が担当しています。
タイトルにある“至高体験”とは、心理学者のエイブラハム・マスローの著作にある、“ピーク・イクスペリエンス”の訳語。
フとした瞬間、健康な人々の間には度々訪れる、幸福感を伴う絶頂感に似た“至高体験”。
本書はマスローの著作にある彼の主張と、この感覚に焦点を当て、ヒジョウにわかりやすく解説した本です。
エイブラハム・マスロー(Abraham H. Maslow/アブラハム・マズローとも)は、アメリカの心理学者です。
精神的な病気や病理を分析する「精神分析」や、内的/心的状態に依らない唯物論的な「行動主義心理学」とも違う、健康人の心理学「人間性心理学」の確立を目指しました。
人間の欲求の段階/階層を主張した、通称“マスロー欲求階層説(自己実現理論)”が、有名な論説。
著作内容はより普遍的で人間的な心理学を目指すモノで、教育学や倫理学、経営学など多岐に渡る分野に影響を与えました。
★さてコレを読んでいただいている方のアタマには、当然のゴトく“で、至高体験ってナンなの?”って疑問が、浮かんでいるコトでしょう。
コレはひと言では説明しずらいんですが、かと言ってよくこのテの本にあるイカガワ悟りや解脱といった用語とは関係がありません。
と言うのもこの感覚は、主に心身ともに健康な人間に、日常的に起きる現象のコトを指しているからです。
ほとんどダレにでもある体験ながら、ソレについて自覚したり、他人と共有したりする機会はまったくありません。
ではその体験とはどんなモノなのか、本書の中からその事例を抜粋してみましょう。
“若い母親が台所をせわしげに動きまわって、夫と子供たちの朝食を作っていた。太陽が降り注ぎ、清潔できちんとした服装をした子供たちが、食事をしながらお喋りをしていた。夫は何気がなしに子供たちと遊んでいる。彼らのありさまを眺めていたとき、母親は突然に圧倒されたのだ。その美しさに、また彼らへの自分の大きな愛情に、すばらしい幸福の気持ちに。こうして彼女は至高体験に参入していった。”
“ジャズ・バンドでドラムを叩きつつ苦学して医学校を出た若者が、かなり後になって報告してくれた。ドラミングの間に三回至高の頂点に達したと。そのとき彼は自分が偉大なドラマーであり、また演奏が完璧であったと感じたのであった。”
上記の例をご覧いただいて、既にもうおわかりですネ。
つまり理由はサダカではないけれど、ナンだかムヤミやたらと嬉しくなって、幸福感に包まれてワレを忘れちゃうような瞬間です。
ジ~ンとしてグワ~ンとしてフンガ~となる瞬間、そう言えば、ミナサマにもケッコウある体験だと思います。
ワタシはゲイリー・シェローンを思い浮かべると、イッパツです。
今回ご紹介する本作ではマスローの著作で触れられているこの“至高体験”をキーワードに、彼の思想と研究を読み解いています。
ウィルソンちゃんの解説によると、この体験に欠かせない重要な要素は、精神のカンペキな集中だそう。
で、ソレには広い視野と高い視点を持ち、現実への拡張感覚、『失われた時を求めて』で言うマドレーヌ感覚を持つコトが大事だと。
センセがマスローの主張と考え合わせて、更に独自の調査/研究を統合すると、この“至高体験”をヒンパンに持つ人間ホド様々なコトガラを成し遂げられるそうなんですナ。
んまあコレがホントかどうかハッキリと名言できませんが、実際にマスローの心理学が教育学や経営学など世界的に受け入れられている事実を思うと、アナガチまったくのウソでもないと思われます。
“自己実現”や“上昇志向”ってコトバ、個性派草食系のワカモノがカッポする今の世の中で、イヤにケ嫌いされてる感があります。
モチロンそういったモノに嫌悪感を持ってしまう背景も、わからないのではないのですが、本来はとっても前向きでステキな考え方。
もしミナサマがいつか、こういう志向性に興味を持ったなら、本書やマスローじしんの本を読んでみるコトをオススメいたしますヨ。
★最後にこの悪趣味ブログを読んでいただいた方が、コリン・ウィルソン大先生の著作をゼヒ実際に読んでみたい!と思えるように、本作とはナンの関係もないトットキの情報をお伝えしましょう。
コレはウィルソン先生の人柄を表す、思わずホッコリのエピソードで、巻末の四方田犬彦による『文庫版によせて』に記されてます。
内容はズバリ、「ウィルソン先生の二日酔いの直し方」。
“二日酔いになったら、シャンペンを呑むとか、サウナに入るとか、そんな姑息な手段に訴えてはならない。立ち向かう方法はひとつ、断固として二日酔いなど存在しないと信じて、一日をいつも通りに行動することだ。やがて夕暮れになって、すべてを前日通りにし終えたとき、人は二日酔いを克服できたと知る。しかしそれは、そもそも二日酔いなどなかったのだ、と宣言することと同じではないか。”
・・センセイったらオモシロすぎます。
こういう極端すぎる断言、ワタクシ、キライではございません。
恐らく今週末も、毎度ながらの二日酔いにはなると思いますので、ゼヒこの方法をワタシも試してみようと思います。
コレがセンセイ以外の人間に、通用するかはわかりませんけどネ。
ホントに効果がありましたら、ミナサマにもご報告いたしますネ。