貝殻の上のヴィーナス

 

序 23分

 

 地球誕生は今からおよそ46億年前。生命の芽生えは約35億年前。当時の生命体は単細胞のバクテリアのようなものだったようだ。

 人類はというと今から20万年ほど前に出現したとされている。地球の誕生から現在までを1年とすると、人類誕生は12月31日の午後11時37分ということになる。その人類が、このたった23分の間にこの母なる星を席捲し、凌辱の限りを尽くしてきたのだ。

 

地球の生態系はこの試練を乗り越えることができるのか?それとも地球は死の星となり果てるのか?

 

わたしは先般、そんな地球を離脱し宇宙で暮らし始めるヒトたちについて、「ヒトの営み その行く末」という中編小説として描いた。しかし、このような試みははじめてであり、そこここにほころびがあったため、あらためてここに加筆・改変することとし、題名も変更した。

2023年12月11日

著者

 

【第一部】金星移住計画

 

序章

 

 「明星」、それは明るく輝く星のこと。特に、宵の西の空、明け方の東の空に輝く金星を指す。夕暮れ時、空明け初める頃にヒトを引き付けてやまない星である。欧米では明けの明星の何にも勝る輝きをローマ神話の美と愛の女神ウェヌス(ヴィーナス)に例えて、その名で呼んでいる。

 

第一章 現在

 

 物憂げな視線をモニターに投げかけ、リポーターの言葉に聞き入っている。ウクライナへのロシアの侵略・イスラエルによるハマスへの対抗措置など。どれを見ても世紀末のようだ。まだ21世紀も四半世紀ほどしか経っていないにも関わらずにだ。

 敵対する国同士が、核兵器を保有することで戦争勃発への抑止力になるという幻想を捨てた時、この星は終わる。それだけではない。各国がその生命線を相互依存する現状は、わずかな確執によっても破綻する。穀倉地帯からの輸出が滞り、水産物の輸入を無条件に全面停止する。産油国は、ここぞとばかり高値で資産を増やす。各地では大地震や水害などの激甚災害も多発している。一体どの勢力が覇権を握り、世界を守るのか。第二次世界大戦後の世界に戦争・多国間紛争・内紛を抑止するために設けられた国際連合の安全保障理事会も、5か国の常任理事国の内たった1国の拒否権で否決されてしまう。

 神よ・・・。

 

第二章 出会い

 

 わたしは黒田源蔵。昭和中期、第二次世界大戦後に、この世界の行く末を案じ、資財を投げうって財団を立ち上げた。そして国際連盟や国際連合が抱えていた問題を解決する「地球連邦」の設立に向けて尽力してきた。わたしも齢90歳を超え、後継者を探している。政治家はだめだ。学者も。もっと若く理想に燃えた人材が必要だ。わたしがとある経済界の宴席のなかで出会った20代後半の眼光鋭い青年、ほんの数分「世界人口と食糧問題」などについて言葉を交わしただけだが、わたしはこの男に決めた。かれは世界中に拠点を持つ秘密結社Fの東京前支局長だった。名前は「桐谷豪」。後日一席を設けて詳細の会談をするという約束を交わして袂を分かった。

 

2023年12月。京都の老舗料亭で、ふたりは再会した。桐谷は開口一番、「人類の誕生から19世紀の半ばに世界人口が10億人に達するまで、長い時間を要しましたが、それからわずか200年足らずの2011年に7倍となって70億人をマークしました。2021年に79億人、2022年に80億人となり、推計では2030年には85億人、2050年に97億人、2100年には109億人に達すると予測されています。これだけの人口を養うのはどだい無理な事柄です。食料をめぐっての紛争が各地で起こるでしょう。」

「桐谷さん、それは今後もこの星に住み続けることが前提ですな?」と、わたし。

 桐谷の眼光が鋭くなった。だが、それもひと時、冷静な顔つきに戻っている。

「人類は地球圏を離れ移住すべき、と仰るのですね。」

「地球がもたん時が目の前に迫っておるのじゃよ。」

「ふむ。」、と言ったまま桐谷は黙り込んでしまった。と、しばらくして「やりましょう!ノアの箱舟ですねこれは。史書にあった通り、全員は運べない。箱舟ができても、乗組員の人選にはおおいに一悶着ありそうですが。」と言った。

雪降る京の夜は更けていった。

 

第三章 惑星探査

 

 20世紀末から、この太陽系をめぐる星の探査が始まり、それなりの成果をあげてはいたが、地球に一番近い「月」ですら詳細な事柄は不明のままだった。火星や金星などに至っては、無人探査衛星を送ったまでで人跡未踏のままだった。まして、くだんの黒田翁と桐谷の会談で話題となった「人類移住計画」など夢のまた夢だった。

 ことの性質上、太陽系外への移住は論外。すると近隣の「月・火星・金星」が候補として残る。これまでに判明した三つの星の特徴をかいつまんで説明しよう。

 

天体

地球

火星

金星

直径(km)

12,700

3.500

6,779

12,104

地球最接近(km)

N/A

約36万

約7,000万

約4,200

地表重力(/地球)

1

1/6

1/3

9/10

大気成分

N2,O2

N/A

CO2

CO2

気圧(/地球)

1

N/A

6/1,000

90

地表温度(摂氏)

0~30

-170~110

0~125

460

 

 月と火星は地表重力が低いため、活動する人間の健康面(筋力低下など)の影響が懸念される。また月は真空、火星はわずかに二酸化炭素の大気があるのみで両者とも温度環境も劣悪、地球環境化(テラフォーミング)には困難が伴う。また、大気が薄いため宇宙線(宇宙放射線)を遮る方策がない限り地表面での活動は不可能である。

 一方、金星は地球とほぼ同じ大きさであり、重力もほぼ同じ。大気成分は二酸化炭素が主体で地表面での気圧・気温は90気圧・摂氏約460度と過酷だが、地表ではなく、上空50km程度に浮遊するコロニーを設営すれば、気圧・気温ともに地球環境とほぼ同じになり、しかも十分な大気があるため、障害となる宇宙線を遮蔽してくれる。

 研究者の間では、昨今話題の火星移住計画よりも金星を有力視しているメンバーがいる。金星に問題があるとすれば、絶えず降り注ぐ硫酸の雨であろうか。

 いずれにしても、移住計画実行のためには目的の天体の探査・研究が必要である。月は最も身近でもあり、人類が足跡を残した唯一の天体であるが、それにしても探索はまだ端緒に着いたばかりと言っていい。夜空にひときわ赤く輝く火星は無人探査機の標的となっているが、有人飛行などまだ先の事である。明星、ヴィーナスとも謳われる金星も探査の目標となっているが、分厚い大気と硫酸の嵐に阻まれ、はかばかしい成果はない。

 はたして地球人類が限界を超えるまでにこれらの天体の地球化と移住を成し遂げられるのだろうか?幾世代にもわたって模索することになろうが、人類の未来はこの計画にかかっているといって過言ではない。

 

第四章 黒田翁の死

 

 桐谷に後を託す決心をした黒田翁。築き上げた巨万の富を財団とともに彼に遺し、満足げに笑みを浮かべながら他界した。翁の遺志を引き継ぐかたちとなった桐谷は、成し遂げた時の喜びをこの拳の中に掴むまで粉骨砕身の努力を惜しまないと故翁に無言で誓っていた。翁の資産目録・交友関係を調べるうち、桐谷は身も凍る思いに襲われた。翁はこの世で最も裕福な人間であること、その交友にはアメリカ合衆国・ロシア・中国などと言ったロケット先進国の中枢とのコネがあり、それも頻繁にそれらの国の宰相・ロケット関連の企業体のトップとのコンタクトがなされていた。いまにも移住計画を実行可能なレベルに引き上げることができる準備ができていた。

 

 翁の死後、その遺志を引き継いだ桐谷はまず秘密結社Fの東京支局長だったころの盟友らとコンタクトをとり、移住が実現可能かどうか尋ねてみた。応えはすべて「イエス」、ただし今すぐにではなく少し未来。地球が住めなくなるまでに間に合うかは不明。そして、ノアの箱舟で移住するのは1万人がせいぜいというところであることを知った。現在の世界人口が80億人に達しようとしていることを考えると、とても満足のいくものではなかったが、種としての「人類」は維持できそうだった。

 

第五章 明星

 

 先に述べたとおり、移住先として月と火星は、移住可能な環境に改造する(テラフォーミング)には低重力と宇宙放射線の問題があり、却下された。

 金星のようにはじめから地球に酷似する環境の方が着手しやすかった。問題がないわけではなかった。たえず降り注ぐ硫酸の雨である。金属類は溶解してしまうが、幸いフッ素樹脂などが硫酸に耐性であり、透光性もあるので空中のコロニー内に太陽の光を取り入れれば植物の育成にもいい。金属の構造体はこの硫酸耐性樹脂の中に構築すれば問題ない。

 しかしことは未だ端緒についたばかりだ。思わぬ障害もあろう。まずは桐谷たちの計画を国際社会に諮ることになる。80億人から1万人を選ぶ方法と根拠だ。

 

第六章 選民

 

 現在、当面国際社会を束ねているのは国際連合である。桐谷たちのグループの計画は、もちろん国連の諮問にゆだねられた。桐谷らの草案で新世界の設計図が示された。以下はその骨子である。

 

1.     危機に瀕しているこの星と人類を救済するために、一定の期間人類の一部は金星に退避する。現人口約80億人のうち1万人を選び、金星に送る。この1万人の選出方法については別途検討する。また、人類の未来のためにいくつかの制約を付託する。

2.     コロニー委員会を設置し、あらゆる問題の解決に当たる。地球を出発するに至り、全世界の英知を搭載したデータベースをコロニーに設営し、当該問題解決の基とすること。

3.     地球とのコンタクトは絶やさず、その命運を注視する。たとえ一線を超えて世界大戦に発展しようとも、決して干渉せずその命運にその星を託すこと。

4.     送られる1万人は全て健常者とし、うち60%は6歳以下の小児とする。残る40%は成人とし、一部は小児たちの教育に携わる。他の成人はコロニーの維持管理などに当たる。また人口増加を抑制するため、成人は適宜避妊手術を受ける。成人に達した小児たちも同様。

5.     なにより人類の存続を目的とするため、ヒトの遺伝子学的研究に重点を置く。コロニーにおける成人の高齢化による死亡等での人口減少を避けるため、また帰還後の地球の人口を適切なレベルまでに制御するためにクローン技術の完成を目指す。

6.     コロニーには植物を含め、あらゆる生命体を育む環境を整備しその多様性を維持し、地球帰還時の環境形成に資すること。

7.     コロニー内で用いられる言語は基本的にひとつとする。信仰を妨げはしないが、宗派間の諍いは現に慎む。

8.     現在の地球の戦争・紛争の根源的な要因である武器はこれを放棄する。もちろん核兵器は持ち込まない。

9.     移住に先立ち、金星でのコロニー設営のために月―地球圏で構築したコロニーに1万人の人類を収容し、そこより金星に向かう。何人たりともその準備を妨げてはならない。

10. 金星への途上ないし金星上で不測の事態が発生した場合に備え、離脱に向けた準備をすすめること。

 

以上。

 

 無論のこと、国連での諮問委員会ではこの草案に懐疑的あるいは敵対的意見を述べる者も少なからずあったが、それでも是認する向きが多かった。なにしろ母なる星、地球の危急存亡の危機は目前に迫っていたからである。

 

第七章 月―地球圏

 

問題は1万人の人類をいかにして金星に送るかが問題であった。まず、コロニーはその規模から地球上から離昇せしめることが困難であるため、月―地球圏において造営しなければならない。しかし1万人といえば小規模なスタジアムに相当する規模が必要であったし、ただ収容すればよいのではなく住環境として十分な広さとそれを支えるインフラの整備、そして宇宙空間を航行する能力が不可欠である。月―地球圏には両者の重力が比較的にバランスの取れたラグランジュ点と呼ばれる領域がいくつかあった。それ以外の空間では、月か地球に引っ張られ落下してしまう。資材は地球から、そして当時開発途上にあった月から当該領域へ運び、造成はこのラグランジュ点で成すこととなった。

さて、コロニーは半球状のドーム型で、フッ化樹脂素材の外郭で覆われ金星における硫酸による侵食を食い止めると同時に、その光透過性により太陽からの光を導きいれることができた。これにより光合成を行う植物から酸素の供給を受け、収穫物で食糧を確保する仕様とした。無論、金星上空でコロニーが太陽光の供給を受けるためには推進力にて移動できる機能も必要となる。

 これらの基礎的仕様を満たすコロニーをただ1基、収容人口は1万人。これまでの宇宙開発の集大成とでも呼べる大事業となる。それまで国際宇宙ステーションなどで培ってきた実験的事業はまさにこのためと言える。黒田翁はこのことを予見してアメリカ・ロシア・中国などの各国に陰ながら宇宙開発の動機付けを行っていたのである。表面上は敵対する関係であっても人類存続という重大事を前にして各国は意見の合一を見たのである。すべては月―地球圏において金星への移住計画を成し遂げるための前哨戦だったのである。

 

第八章 コロニー建設

 

月―地球圏に存在する重力的バランスが良好なラグランジュ点は五つの領域がある。それぞれL1~L5と呼称される。L1とL2は月ー地球圏の近傍にありコロニー建設現場への資材運搬に最適であった。コロニー建設はこの2点のうち地球に近いL1が建設に供された。

コロニーのドームの底部は地上に相当する。底部の地上部分のさらに下部には推進装置や地上のインフラ網が納められる。天空を覆う樹脂の窓から太陽光を取り入れる。金星上空では底部を下に、ドーム部を外に向けた姿勢で必要に応じて金星上空を移動できる仕様だ。

これらの基本構想を基にコロニー各部の整備を行う。都市部としては居住区、小児の教育施設、医療機関、コロニー管理部門(航行管理部門、インフラ管理部門、天体観測部門など)および食料・上下水道管理部門が設営される。このうち6千人の小児を除く4千人がこれらの任務にあたる。都市部以外では第1次産業から第3次産業を担っていた。

さて、人選であるが、犯罪者などの特殊なケースを除いて、現在地球上で生活しているあらゆる者から行われる。特定の国・地域から選ぶのではなく、できる限り多種類の民族・年齢から選考が行われる。特に40%を占める成人の選考には厳正な基準を用い、60%の小児が成人するまでの間、その成長を補佐する役目を果たす。7歳から18歳までの間の人間は成人に至る過渡期とみなされ、いかなる才能を開花させるかについて、注意深く観察されることになっていた。人員の搭乗も粛々と行われた。

 

第九章 コロニー、金星へ

 

 人類と地球の危機が迫る2100年頃、ようやく金星へコロニーを送り出す時が来た。この時、桐谷は80歳を超えていた。

 金星が地球にもっとも接近するのは、金星が太陽と地球の間に来たいわゆる内合の時で、その距離はおよそ4200万キロメートル、すべての惑星のなかでもっとも近くなるが、金星の軌道の離心率が小さいので、その距離は毎回あまり変わらない。こういう性質も移住先を選んだ理由の一つだ。到達までの時間を短縮できることは重要な要因でもあった。

 そもそも、ロケット・人工衛星を地球のまわりを回る 軌道にのせるためには、秒速7.9km(時速28,440km)の速度が必要だ。 また、さらに地球の引力を 脱出して月や惑星に向かうには秒速11.2km(時速40,320km)もの速度が必要。ラグランジュ点からの航行ではそれほどの速度は必要なく、あらかじめ軌道計算を綿密に行えば、金星圏には加速に20日程度、到着時の減速にまた20日前後。その間に慣性航行の時期があるので全工程でざっと100日かかることになる。この間、無事であることを祈るのみである。

 

第十章 リスク要因

 

 天文学的チームからは金星が地球より太陽に近接することにより、太陽活動の活発な時に発生する「太陽フレア」をより重大なリスク因子として注意喚起されていた。ただ金星のコロニーは地球と同様大気圏など遮蔽する要因があることから、金星到着以降は問題なしということだった。問題は月―地球圏から金星までの航路で太陽フレアに遭遇することになった場合、コロニーの損傷は避けられず最悪機能停止に陥るということだった。そういう事態を回避するため、コロニーは常に太陽が金星の陰に来るように軌道を調整して進行することとした。案じられたように太陽フレアは発生したが、その際も金星が盾になってコロニー船団には影響が及ばなかった。これにより想定よりコロニーの金星への到着はやや遅延したが、やむを得ないことだった。また、このため元来コロニーの円蓋部から取り入れるはずだった光に代わり、出発時に充電されていた電源などから照明灯を点灯することで対処した。

 

 

第十一章 到着

 

 そして、コロニーは金星に到着した。金星地表面は重力・気圧の面で移住環境としては適さない。上空50Kmの辺りでは重力・気圧ともに地球に酷似し、コロニーは底面を金星表面に向け、円蓋部を上空に向けて降り注ぐ太陽光を取り入れる態勢をとることになっていた。そして、太陽光を最大限取り入れることができるように金星の黄道線上に定着し、太陽を追尾する軌道を航行した。懸念されていた硫酸雨によるコロニー構造の侵食もなかった。「月―地球圏」のラグランジュ点でのコロニー建造の際に、ほぼすべての建造物や施設・インフラなどは敷設されていたので、金星に到着してもそれらの動作状況を監視・管理するのみで、新たに何かを作らなければならないということはなかったのだ。

 

第十二章 異変

 

 コロニーでは、天文学的チームなどが金星圏の観測を主体とした活動を行っていた。ある日、コロニーの軌道と同高度の辺りで長径約1Kmの紡錘型の浮遊物体を探知した。レーダーによれば組成不明の金属製の物体で、同高度に他にも複数存在するということだった。何かしら知性を感じさせるものだったので、あらゆる方法で交信を試みたが返信はなかった。ともあれ、コロニーに敵対する様子もなかったので、UFOとして監視することにした。

 約半年が経過したが、その後もこのUFOは頻繁に観測され、ある者は「金星人」がいるのでは?と提言する者まで出てきた。

 コロニーを率いてきた桐谷はこのコロニーの首長としてその座に就いていたが、このUFOは悩みの種だった。もしも彼らが自分たちに敵対するようなことがあっても、コロニーには対処する武器はない。自分たちのことを無視していてくれる間は問題ない。なんらかの交信があれば、全力で平和を維持できるよう外交的努力もしよう。まずは様子見か、と桐谷は考えた。

 

第十三章 コンタクト

 

 「お前たちは、地球を破滅に導く種族の末裔か?」唐突に、しかしはっきりとわかる英語で通信が届いた。このことはすぐさま桐谷に伝えられた。英語が通じるのだ・・・。かれは「我々は滅びの道を歩む地球人類の最後の希望として金星にやってきた。」と返信した。

 「平和を望むか?」再び通信。桐谷は直ちに「平和を望む」と返信した。

 少し間があって「地球人類はその歴史の中で争いばかりだったではないか?君たちはそうではないというのか?」これには「われわれは、そういう歴史から脱却し平和な世界を再構築しようと金星にやってきた。地球が自滅し、ふたたび争いのない世界になれば、われわれは地球に帰還する」と答えた。

 「代表者と対面で会談したい」としばらくして通信があった。桐谷は「君たちの居住環境では我々は生存できないかもしれない。そちらがこちらに来るというのならば拒みはしない」と答えた。「了解した。こちらにも準備が必要だ」と返信があった。

 その後、幾たびかの交信を経て、会合はコロニーで桐谷が居住するスペースの会議室となった。先方の意向に沿い双方とも感染防御仕様のボディースーツで、かれらは気圧・重力をかれらの最適な条件にする装備の搬入を申し出た。桐谷はすべて了解したと伝えた。会談は数時間後に設定された。

 

第十四章 会談

 

 かれら(仮にエイリアンと呼ぶことにした)は5人でやってきた。コロニーの脱出用に設けられたゲートを通じて。エイリアンの乗り物は小型のカーゴで推進力は不明だった。エイリアンの特徴はほぼ地球人と同様で、ボディースーツのマスクから覗く顔貌も地球人と変わりなかった。

その後エイリアンを招き入れ、こちら側も主だった施政官と桐谷の5人で会議室に導いた。テーブルをはさんで双方5人が席に着いた。「ようこそ我がコロニーへ。わたしが代表者桐谷です。」そういうと単刀直入に「御用の向きはどのようなことでしょう?」と尋ねると彼らの中の首長とおぼしきものから「平和」と短く応えがあった。

桐谷は「当方はそちらに敵対する意志はありません。そちら側から攻撃を受けたとしても、当方には武器と呼べるものもありません。」

「ならばよい。相互不可侵である限り君たちには平和を約束しよう、子孫たち。」と首長は答えた。子孫たち?どういうことだ、それは?桐谷たちは色めき立った。「子孫たちとはどういうことでしょうか?」

「我々も地球から逃れてきたのだよ。いまから三千年ほど前、我々は高度な文化・文明を有する優良種として地球に平和をもたらしてきた。君たちも大西洋のアトランティスや太平洋のムーのことは知っているだろう?これらは我々の居住域だったのだよ。世界各地に遺存する古代遺跡の建造とそれらを用いた星辰術は我々が供与したものだ。しかし、他の大多数の地球人はその栄華を妬み我々に挑んできた。そこで我々は意を決して、居住域を深海に沈め、地球を離れ金星に移住し平和に暮らしてきた。そこへ君たちがやってきた。君たちの真意を知りたいというのは過ぎた望みだろうか?」と語るエイリアンに対し桐谷は、

「いいえ、平和的共存が可能ならこの上ない僥倖です。相互不干渉をお望みですか?それとも互いに利するところがあれば交流も是認されますか?とはいっても、科学技術の面ではあなた方が数段進歩しておられる。差支えなければ、その一端でも我々にご教授願えませんか?」

「時間はたっぷりある、考えようによってはな。それゆえ、しばらく君たちの様子を拝見させてもらいたい。臨席した残りの4人を特使とし、君たちのコロニーに置かせてはくれまいか?特使の生存に関わる全ての装備・糧食などはこちらで用意する。如何かな?その上で当方とそちらの交流の可否を判断したい」

首長の問いかけに対し桐谷は「是非そのように」と答えた。

会談はそこまで。エイリアンたちはもと来た方向へ帰っていった。

 

第十五章 視察

 

 4人の特使がコロニー群を視察する前に、コロニー全体にかれらの風貌、視察の目的などを詳しく説明し、間違っても事故・事件が起こらないよう周知した。特にその姿はいわゆる彼らの生命維持装置を含めて、コロニー内では初めて目撃されるようなものであったからである。

使用される言語は、我々のコロニー同様英語であったので、一旦その眺めに慣れてしまえばどうということはなかった。特使たちは精力的に視察を行い、特に全体の6割を占める小児たちに深い感銘を受けたようであった。

 子供たちがエイリアンに対峙しても恐れることのない無垢な微笑みを向けることにはそういう力があったのだろう。それはかれらには驚きだったようだ。それは取りも直さずのこりの4割の成人たちの健全さの証左と映ったに違いない。

 しばらくの視察の後、特使4名は帰還した。

 

第十六章 地球の破滅

 

 予期されていたことであったが、恐れていたことが現実になった。地球表面で複数の核爆発が観測されたのである。試算したところによれば、今後10年程度は地表に太陽光が届かず「核の冬」になるということであった。人類の生存は絶望的、人類どころか地球の生態系は修復不能の状態に陥った。

 エイリアンの首長からは「いずれこうなった。君たちの行動は正解だったな。」と通信があった。桐谷に対し「地上が復元したら、戻るのか?このまま金星でともに生きる道もあるのだぞ。」と。このとき、桐谷は90歳になろうとしていた。望郷の念やまずというところであったが、「いまは時間をもらえまいか?」とだけ答えた。

 コロニーでは、期初の四千人の成人入植者の中でも比較的高齢であった者たちに死者が発生していた。多数の成人に避妊術を施しているため、全人口は減少の一途を辿っていた。

桐谷も自身の老いと対面し、主だった施政官から若いものを後継者として育てておこうと考えた。これまでは桐谷一人でコロニー群を統制してきたが、若き施政官1名では心もとない。そこで3名の施政官を選び合議制にてコロニーを統制してゆくことにした。かれらに人類1万人の命運を託すことになる。エイリアンの首長の言葉に関わらず地球へ帰還することになれば、かれらが地球を蘇生する先兵となる。いまは冬の惑星であっても、時間が経てば地上に太陽の光も届いてこよう。そこに「平和」の旗印の下、以前にもまして人類は繫栄するだろう。

 

第十七章 桐谷の死

 

 桐谷は当初の目的通り地球への帰還を目指していた。しかし、およそ10年の冬の時代を経ても地球は居住困難な環境であろう。残存放射線の問題もある。中には半減期で1万年を超えるものもあったのだ。人類の歴史からすればさほど長い期間ではないが、おいそれと地球表面に戻るわけにはいかない。かれは解決策としていったん月での定住を経て、放射線の問題が消失してから地球に戻ることを検討していた。なにしろ「人類」の種としての延命が第一義だったのだ。選んだ施政官のひとりは、「そんなに長くは待てません。」と主張した。科学技術担当技官からは「核戦争後も比較的残存放射能が少ない領域もあると考えられる上、コロニー自体が外部からの放射線を遮蔽する機能をも有することから、コロニーから外に出ることを制限するならば、地表への帰還も可能です。」という進言もあった。

そこでかれは、これらの事柄を隠さずに公表し、3人の施政官を頂点とするコロニー委員会を参集した。かれ自身はオブザーバーとして会議の行方を見守った。元来このような事態、すなわち地球人類の自滅を考えた上での金星移住だった。それゆえ会議のメンバーから驚きや恐れの声はほとんど出なかった。むしろ金星移住民が地球をあるべき姿に再生するという使命に高いモチベーションを示す者たちが大半だった。その様を見て桐谷はおおいに満足した。

懸念された人口問題も避妊術の施行を一部解除することと、クローン技術の進歩によりコロニー全体で人口一億人のレベルは維持できたし、地球へ帰還しても人口を最適の状態にすることも可能となっていた。

万事遺漏ないことを確かめた桐谷は、以前から病んでいた神経系統の状態が悪化したのを機に代表者の座を降りた。三か月後、呼吸器系統の神経まで侵され帰らぬ人となった。そしてコロニー全体が一週間の喪に服した。

 

終章 テラへ

 

 ここは会議室。施政官3人と科学技術担当技官、天文学担当技官が参集し、地球への帰還について議論している。施政官のひとりが口火を切った。

「我々はここまで待った。天文学技官によれば、太陽フレアが問題になる9年に一度の太陽活動極限期は一昨年だった。帰還するには好条件だ。この機を逃す手はない。」別の施政官は「軌道計算にはさほど時間はかからない。そうだな?科学技官。」「それだけの時間的余裕があれば問題ありません。」沈黙を守っていた三人目の施政官は締めくくりに言った。「早速、地球への帰還計画を策定し、故郷へ帰ろう。」

 こうして帰還への準備が始まった。

 一年後、コロニーは地球を目指して金星を離れた。100日に及ぶ旅程の間、特段の問題はなく、いよいよ地球への帰還が目の前に迫った。想定されていた通り地球は氷河期同然の低温環境であり、何より核戦争のため残留放射線にまみれた状況だった。しかし、時が経てば地表での活動も可能になろう。そして、期初からの念願通り平和で平等な世界を構築することができるだろう。黒田翁や桐谷の考えた理想郷が実現するのだ。当時地球に残された80億人の犠牲の上に立って。その犠牲のことを思えば、地表を闊歩する自由を得るまでの間、永く待つことも耐えることができる。

 こうして金星移住計画は一応完結した。

 その後のことは、また別の機会に。

 

【第一部 完】