貝殻の上のヴィーナス

 

【第三部】星界の果て

 

序章 危機的現状

 

 金星から帰還した者たちは1万人。米国の地下シェルターの生き残りはほんの千人足らず。これから、残留放射線レベルの低減を待つ間に、二世・三世と人口は増えていくだろう。シェルターの収容人口は10万人。数世代で飽和状態になる。それまでに放射能が健康被害を及ぼさない程度までに下げる方法がなければ、居住域はあふれてしまう。金星のエイリアンがほのめかした「放射能除去装置」でもなければ、人類は早晩壁にぶち当たる。

 一方、シェルターのあるロサンゼルスは地震が多いことでも有名だ。そんな地震でシェルターの構造が破綻すれば、一貫の終わりだ。四面楚歌とはよく言ったものだ。人類の命運も見えてきた。

 神よ。

 

第一章 アルケミー

 

 人類史上、中世において、何でもない石ころや鉄くずを「金」に変えてみようと真剣に考えた人々がいた。ある者は魔術的に、ある者は科学的に。いずれにせよ、中世期では叶わぬ事だった。20世紀頃から、物質の原子核に電子、陽子や中性子を高速で照射することで、元の原子種から異なる原子種に変換するという試みがなされるようになった。この手法で、原子レベルで錬金術を成し得るようになった。とは言ってもいきなりインゴットのような金塊が出来るわけではない。かける労力には、とても引き合わない。

 金は半導体生産のキーとなる貴金属だ。故障した電化製品などから金だけを回収する方法は、充分に採算にのった。こうした廃品回収による金の再利用は、採掘される金の量から見ても決して劣らないものだった。

 米国のゴールドラッシュ時代には一攫千金を夢見て金鉱が眠るロサンゼルスに多くの冒険家が集まった。しかし、このロスはサンアンドレアス断層という大規模な地震を多発する世界でも有数な場所で、人々は敢えて坑道を掘ってまで採掘には行かなかった。

 今も昔も、金は貴重品。錬金術師の目指す目標。しかし、その先がある。金に相転換したあと、本来到達すべきは「赤」だと。

 

 錬金術には主に次の三つの段階がある。

 

1.ニグレド 黒化(腐敗) : 個性化、浄化、不純物の燃焼

2.アルベド 白化(再結晶) : 精神的浄化、啓発

3.ルベド  赤化(賢者の石) : 神人合一、有限と無限の合一

 

 つまり、錬金術の究極の到達点は「金」への変換などではなく、さらに「赤」、すなわち、「賢者の石」を生成し、神との合一、有と無の合一を以って、あらゆるものを統べる力を手にする事だった。

 

第二章 金星のエイリアン、再来

 

 金星移住計画を終えて地球に帰還して100年が経とうとしていた。金星からはそれ以後エイリアンたちの介入はなく、また、大地震に見舞われることなく、平穏な日々が続いていた。金星からの生還者の指導の下、地球に残留していた人々も、徐々に「平和」の意味を噛みしめていた。まだ地上は残留放射線に満ちて立ち入ることができる状態ではなかったが。

 そんな人々は、平和であるが故にその意欲を未来に向けていることができた。放射線の無害化の研究も例外ではなかった。それほどにも地上を闊歩することを渇望していたのである。

 ある歴史学者が中世期に行われていた錬金術に目を向けていた。錬金術の究極の目標は「賢者の石」を生成することだと知った。彼はこの錬金術の最終目標が、地上の浄化にも役立つのではないかと考えた。真が偽かは分からなかったが、かのエイリアンたちも「放射能除去装置」を保有していると言っていたではないか。その歴史学者は錬金術に没入していった。

 その頃、金星から通信が届いた。

「地球の同胞たちよ。我々は死に絶えかけている。力を貸してくれはしまいか」  一度はコロニーの帰還を阻止しようとした彼等である。にわかには信じられない。裏に悪意はないのか。当時の地球の責任者が問うた。

「いまさら何を言い出す。もういい加減に地球に干渉しないでくれ。」

 エイリアンから応えがあった。

「100年前あなたたちを襲ったのは、我々の中でも上層部の連中だった。君たちを奴隷化して、かつてのムーやアトランティスの復興を願った連中だ。我々の中から彼ら急進勢力がいなくなり、残った我々はひたすら平和を願って暮らしてきた。金星に残留するわれわれの人口も5千人にまで減少し、ひどく老いてしまった。今度は君たちの力を貸してもらって若返りをしたいのだ。」

「エイリアンよ。その言葉通りとして、若返って何をしたいのか。」

「且つてないほどに平和で安寧を地球にもたらしたい。」

「古代文明の二の舞か?まっぴらごめんだな。」

「ここに放射能除去装置を携えて来ているとしてもか。」

「信じていいのか。」

「請け合う。」

 

第三章 浄化

 

 地上の残留放射線の除去には思いのほか時間がかかった。しかし、着実に浄化は進んだ。生きている間には地上の景色を見られないと思っていた人々には淡い希望が芽吹き始めた。大戦後上空を覆っていた塵埃も、このころには沈降し太陽の光も拝めるようになっていた。地上の温度もそれにつれ上昇した。

 50年も経った頃、除染作業は一応の節目を迎えた。長半減期の核種がまだ僅かに残っていたが、人々は軽微な装備で地上に出て活動することができるようになった。この間に地球人とエイリアンとの交雑も進み、エイリアンたちも人間社会に溶け込み始め、望んでいた若返りを手に入れた。危惧すべき点もないわけではなかった。長年純粋培養されてきたエイリアンたちは、近親相姦が進みその結果、免疫機能が地球人に比べ低かったのである。地球人にとっては当たり前の感染症やがんに対して、エイリアンたちは非力であった。その意味でも地球人との交配は、そのリスク軽減に役立ったのである。地球人と交わることは、彼らにとっての浄化だったのである。

 

第四章 老いと知恵

 

 前述の歴史学者であり錬金術師でもあった人物は、周りの動静に頓着せずひたすら賢者の石の研究に励んだ。始めて錬金術に触れたのが150年前。以後、身命を賭して励んだ。いつのまにか月日が流れ、「黄金」の生成に成功したのが、100年ほど昔、70歳になっていた。

 中世の文献に目を通すうち、「オリハルコン」や「飛行石」と言った鉱石や結晶の話が気を引いた。邪を拒み、善をなす貴重なものであると。ヒトがもつと、そのヒトの精神をも浄化してくれるという。一説には地上の8人しかこれを持たず、本人は持っていることを自覚しない。彼らを「足萎えのウーフニック」と呼ぶ。彼らは知らずに世界の均衡を保っているのだと。これこそが「賢者の石」ではあるまいか。いかなる錬金術師も作り得なかった「賢者の石」。それは、元々人間界に存在していたのだ。ただそれをだれが持っているのかは分からない。しかも金星移住計画において、80億人の地球人口から1万人を選抜している。選ばれた1万人の中に彼らが含まれていたと考えるのは愚かなことかもしれない。しかし、文献を読み続けるうち、彼らが失われても、再び別人として復活すると記されていた。ならば最後の大戦で彼らが失われても、われわれの中に復活していることになる。

 現在、エイリアンも含めて人類の人口はおよそ2万人。探知機のようなもので賢者の石を探すなら、今しかない。時間が経つに従って世界人口は増加の一途だ。クローン人間の完成もそれに拍車をかけている。そこで、自分の研究成果とその結果もたらされる効果をまとめ上げ、地球の責任者宛に提案した。彼にはもう時間がない。結果を垣間見ることもないだろう。地上が完全に浄化される姿を。

 

第五章 スターゲート

 

 全人口に対して行った人間ドックともいえる調査の結果、賢者の石を体内に保有していると思しきヒトは、8名。神話の人数と同じ。神話によれば、賢者の石を八芒星形に並べ、行きたい場所への暗号を唱えるとそこへの扉が開くとか。人智を超えた存在が残した「異世界への門」だ。だがどこへ?仏教では、弥勒菩薩が56億7千万年の未来に、人類安寧の地を用意する 、と伝えられているが、もしもこの異世界への門が時間をも超越できるなら、人類がかつて追放された楽園に戻ることができるかもしれない。

 地上の浄化と楽園への門。いずれもヒトが望むところのものである。賢者の石8名は、いずれも自分がそうであることを自覚していなかった。それゆえ、どうすれば地上の浄化や異世界への旅に辿り着けるかは分からなかった。

 賢者の石について後を託された学者は、古文書をむさぼり調べた。かの歴史学者は、すでに天命を全うしてこの世を去っていたのだ。この後継者は古代史に詳しく、歴史学者に教えられるまでもなく賢者の石の存在については心得ていた。さて、賢者の石たる8名の人間は見つかっている。古文書を調べるうち、八芒星形の魔法陣についての記述をやっと見つけた。そこにはこの8名がいる限り、地上は浄化されると記されていた。しかし、人類史上このかた争いの絶えたことはなく、地上は汚濁にまみれてきた。飢えや渇きが人々を苦しめてきた。なぜ「賢者の石」はその能力を発揮してこなかったのか。答えはない。

 では賢者の石の異世界への門としての役割はどうすれば発現されるのか。古文書の中でその答えを見つけたときはわが目を疑った。例の魔法陣の8つの頂点にそれぞれ賢者の石たちを立たせ、「悟られないように素早く全員の首を撥ねよ。」おお、神よ・・・

 地上の浄化が望めない以上、異世界へ旅立つしかないというのに。学者は声もなくうなだれた。

 

第六章 地球連邦

 

 その昔、黒田翁が夢見た「地球連邦」が出来上がりつつあった。人類人口2万人の今だからなのか、翁の思惑を載せて金星へ旅立ち、再び地球に生還した人々のおかげか。金星移住者は徹底して不闘不戦を旨とし、地球の生存者や金星のエイリアンとも同じ言語「英語」で意思疎通でき、そこに争いの起こる杞憂さえない。なぜなら、彼らすべて一時は80億人を数えた人類のほんの僅かな生き残りであったし、自滅するのを覚悟で争いを選ぶような愚行をする者はいはしなかったからだ。中でも地球連邦の核となる委員会は、金星移住においてコロニーの委員会で選出された3名の施政官の継承者に、主だった地区の代表8名を加えた11名から成っていた。議長はそれぞれ持ち回り制で10名の投票で議決できない場合は議長が裁断することになった。

 そこへ件の学者からの「賢者の石」についての報告が上がってきた。ことの重要性から委員会11名のみに開示された。地上の浄化と異世界への門。地上の浄化の解釈については、現在の平和で安寧な社会を考えてみれば、つまるところかの第三次世界大戦が皮肉にも地上の浄化であったとの見解が大方を占めた。残留放射線の問題はエイリアンの装置のおかげでゆっくりとではあるが進展している。さて、異世界への門については、8名の賢者の石たちの犠牲の上に立たなければ実現しないし、門をくぐったところが安住の地になるかどうかもわからなかった。地球連邦委員会は全会一致で「賢者の石」に関する事柄を封印することにした。ただし、念のため8名はコールド・スリープ(冷凍睡眠)に付された。

 それなりの装備を身につければ、地上を自由に歩き回れる。いまはそれで十分ではないか。残留放射線のレベルが生身で外に出ることを許容するころまでには、相当の時間を要するが、故郷に戻り平和に生きていられる、そのことだけでも耐えていけた。「賢者の石」のことを忘れても問題はない。要は人類の「種」としての存続が達成されればよかったのである。

 

第七章 皆既日食

 

 それから一千年が経過した。地球の人口は100万人ほどまでに回復した。しかも、以前のような争いにまみれた世界ではなく、ごくごく平和で健全な世の中になった。望むべくもないほどの世界である。かつて幾人もの聖人や賢者がいかにことを尽くして訴えても実現しなかった世界。地上の楽園である。

 あるとき、天上で皆既日蝕が現れた。ところがこれまでの日蝕とは異なり太陽が月の大きさより幾分大きく、地上は闇には覆われなかった。天文学者はこの異変に最悪の予測を立てた。「太陽が死につつある」と。そんなに早く死に絶えるわけではないが、太陽はじわじわとその大きさを増し、いずれは内惑星の軌道くらいまでに到達し地球はなすすべもなく飲み込まれてしまう。その後も膨張を続け、あるとき自身の重みを支えられなくなり、太陽は内破する。太陽系の最後である。

 人類はそれまでの間に、再び旅に出なければならなくなる。今度は金星ではなくもっと遠い惑星に。ここにきて「賢者の石」による異世界への門が、解決策として再浮上してきた。地球連邦委員会が秘匿してきた最終手段である。それまでの旧世界が軍事目的の研究開発やその生産に費やしてきた資金と時間が不要となったため、科学技術の進歩は著しいものがあった。それが宇宙開発の分野で花開き、地球の衛星軌道上にはそれぞれ10万人を収容できるコロニーが相当数完成していた。そのコロニー群を破綻の危機のない異世界に運べば人類は存続できる。

 問題は「賢者の石」8名の命と引き換えに異世界への門が開こうが、どこに行くのかわからないのでは話にならなかったのである。「賢者の石」に関する研究はタブーとされていたが、最初にそれを報告した学者の弟子は、一子相伝の形で研究を続けていた。

 

第八章 扉の向こう

 

 学者の弟子も7代目に差し掛かったころ、いわゆる英才が現れた。例の金星のエイリアンの祖先は、実はこの「異世界への門」を使って宇宙を旅していたことを突き止めた。しかし、現代まで生き残ったエイリアンの子孫はその事を忘れていた。密かに伝承されてきたかれらの古文書をあさり、答えを探した。なんと「賢者の石」8名を惨殺せずとも、宇宙をわたるすべを見つけることができた。大宇宙の中で「門」を抜けてたどり着く目的地のリストも。太陽系が属する銀河に最も近い恒星「ケンタウルス座アルファ星」は地球から4.4光年。その恒星の周りに地球環境に近い惑星が巡っていることが古文書に記載されていた。エイリアンの故郷はその惑星だった。最盛期にはかれらは大宇宙をわが物のように席巻し、帝国を築いたと。かれらが最初に足跡を残したのが地球。そこで自らの身体を解体し、地球の生命の種を植え付けたのだと。なんと人類はかれらの子孫だったのだ。

 時が満ち、地球に人類が誕生したころにかれらはその中から8名を選び、転生の属性を与え、のちに「賢者の石」と呼ばれるに至った存在を密かに埋め込んだ。異世界への門は、この8名の左手首に埋め込まれた小さな結晶だった。虹の七色に黒を合わせた8つの色の結晶。これを八芒星形の魔法陣の頂点に、ある規則に従って並べると門が開くという。行先の門を記した地図は古文書に隠されていた。また、門を通過した後、賢者の石はもとの8名の元に再生することも判明した。

 それらの謎を解いたかれは、以上のことを地球連邦委員会に報告した。

 そこで人類は「門」の起点であるケンタウルス座アルファ星系の地球型惑星を第一の目標と定め準備を始めた。

 

終章 アルファ・ケンタウリ

 

 100万の人類は地球を離れ、ケンタウルス座アルファ星の地球型惑星の周回軌道に到達した。観測によれば、地表面の重力や大気成分は地球とほぼ同じ。しかし生命反応を調べたが、少なくとも地表には動物はおろか植物の形跡もない。エイリアンたちは故郷を捨て、宇宙に飛び立ったのだろうか。もしも我々の太陽と同じくアルファ星も終焉の時を迎えつつあるのならば、それも頷ける。

 ならば、若い恒星を巡り、移住に適した惑星を探査する旅に出なければならない。幸い「賢者の石」を使った空間移動は瞬時である。これから、移住先を求めた人類の旅が始まる。

 

 はるか未来、遠い銀河で・・・

 

【第三部】完

 

 理想郷を求めて旅立った人々の物語は、ひとまずここまで。その後のかれらの物語は別の機会に。

 

【貝殻の上のヴィーナス 完】

 

 終わりに

 

 これはわたしの空想が生んだ物語です。根底にあるのは人類の平和と平等、そして地球環境の回復と保全。世界では戦争や紛争・テロが繰り返され、罪のない市民が犠牲になっています。今となっては取り返しのつかない人類の野放図な環境破壊も。それを、己が事と関知しない人々。もう手遅れかもしれないこの時代に問題提起をしたかったのです。

 

 平和と安寧を

 

 

 2024年3月27日

著者