http://ameblo.jp/ashkirijo/entry-12075495238.html ←七つの質問とは
質問3 抽象度をあげると、トラウマを解消することとアドラー心理学やコーチング理論は矛盾しないのか?
お答えします。
もうすでに、質問1と質問2の回答で質問3には答える必要がなくなってしまいましたね。
念のためおさらいしておきますと、、、、
1、人間には記憶がある。心地よい感情や身体感覚、行動を促す記憶もあれば、不快で破壊的なものもある。
2、 トラウマは不快な感情、症状を引き起こし、破壊的な行動を促す強烈な記憶である。
3、 本当のトラウマは状況記憶が欠落していて情動記憶(恐怖、悲しみ、嫌悪、罪悪感など)のみが残っている
4、 トラウマは長期記憶に整理・移行できていない記憶で脳の短期記憶領域に残遺している記憶である
5、 トラウマは過去につけられた傷であるが、現在も治癒していない出血中の傷である。
6、 ゆえにトラウマは過去の問題ではなく今現在の問題である。
7、本当の トラウマはその由来である事実関係が思い出せないので得体が知れない恐怖である。
8、 その恐怖から逃れるために人は回避システムを使う。
9、 回避システムとは、ダミーのトラウマ記憶の反芻、妄想、ファンタジーに逃避、依存症、思考中毒、自分の感覚でなく他人の感覚に鋭敏になる、恐怖の対象を探し出してそれを気にする、不定愁訴をつくりそれに意識をフォーカスさせる、かい離するなどである。
10、トラウマの人が掲げるゴールは恐怖から逃れるための「ダミーのゴール」である可能性が高い。
11、「ダミーのゴール」を目指している人のメンタリティーは恐怖である。
12、「ダミーのゴール」を目指している人に幸福感はなく、焦燥感や不安感が大きい。
13、トラウマを解消し恐怖を解消した人はゴールを達成する以前にゴールに向かう過程ですでに幸福感がある。
つまり、第三の質問の答えは、「抽象度をあげなくても矛盾していない」ということになります。ですから抽象度を上げて認識する必要も無いということです。
さて、第三の質問の「抽象度」という話ですが、たしかに無茶苦茶「抽象度」をあげれば全ての矛盾は無くなります。
しかしあまりに抽象度を上げすぎると実用性がなくなります。つまり「空」までいってしまうと「悟り」なり「ニルバーナ」になってしまい、生産性が無くなります。それではこの生き馬の目を抜く俗世間で生きてゆけないでしょう。
抽象度を極限にあげて「空」とか「悟り」という状態になると全ての矛盾はなくなります。
例えば、、、、
「生も死も、富も貧乏も矛盾しない、だから他人が私から財産を奪っても、私を殺しても、私の家族を殺しても同じことである。」
というところまで行ってしまうとこの世では生きてゆけません。それはほとんどの人が望まないでしょう。
俗世間で生きてゆくということは低い抽象度の『矛盾』をいかにかいくぐってゆくか?という技術的な部分も必要になります。
一つ警告があります。トラウマの人が『抽象度』を持ち出してしまうと危険な部分があります。
物事をできるだけ抽象的にとらえる、次元の高い概念でとらえるということは、物事を俯瞰する、本質をとらえるという意味ではとても有用な考え方です。
しかし下手をすると『恐怖から逃げる』という回避システムに使われてしまう可能性があります。つまりトラウマの「得体の知れない恐怖」から逃げるために『高い抽象度空間』に逃げて現実から乖離してしまうというケースが多々あるようです。
そういう人は目を見るとよくわかります。まるで夢を見ているようなとろ~んとした目をしているのです。そういう人は現実世界で実務的で具体的な行動ができないため何の具体的な成果を達成することができません。この世で成果をあげるには、地に足をつけながら抽象度を上げる必要があります。なぜなら誰しもがゴールに設定するのは現実世界での成功に設定するからです。もしあなたが想像の世界や夢の世界でのゴール達成が望みなら話は違って来ますが、そういう人はまれでしょう。だれもが想像の世界や夢の世界で目標達成が無意味だと知っているからです。現実世界で目標達成を望むなら足の裏は大地を踏みしめている必要があります。
ただトラウマの人が足をつけるべき大地には『トラウマ』という恐怖が広がっているたために地に足をつけたくてもつけられないのです。
地に足をつけるためには、「その人の大地」から『恐怖』をぬぐいさってあげる必要があるのです。