ドイツ式フットケアサロン


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人にとっての「普通」という基準は、
その人のいる環境によって違う。

と、先日、何かで読みました。

 
例えば、私はそんな家じゃなかったんで
私の思う例えなんですが


クラシックに詳しい家で育つと、
生活にクラシックがあり、詳しいのが
普通だとか。


けど、私の家でクラシックについて
会話するのは、普通ではない。
なんだかかっこいい、
という感じです。


なんだかかっこいい、いいな、という
プラスの感情だけではなく
その "普通" という固定概念には
マイナスの感情もあって


「こんなことはよくない」
「こんなこと、普通はしない・できない」


というものもあって、
自分はこうしたい。けど…と、思いついた行動を
制限したりすることもあると思うんです。



毎日、いろんなお客さんと話していると
「え、すごいですね」とか
「いや、私にはできないな」という
"私にはない普通" を知ることが
これまでも、日々あったのですが


先日読んだ冒頭のそれが、ストンと
腹に落ちる出来事がありました。


それは、私にとっては
"普通はできない" と思うことが、
あるお客さんにとっては普通のことだし、


「みんなそうじゃない?」


と言われた言葉が、きっかけです。


私にとって、"普通はできない" 、
一般的にはみんなそう感じている
と思っていたことが


彼女にとっては、私と真逆の考えが
"普通のこと"であり、
私の思う「みんな」とは真逆の考えが
彼女にとっては
"みんな、そう感じている" 。


それが、少数派か多数派かは関係なく、
自分が固定概念で、
「これは一般的にこう思うからあかんかな」とか
マイナスの感情で決めつけていたことを


「いいやん」と思う、
真逆の考えをする人もいるんだなって。
そうやんなって。


これまでも、生きていれば
人様の "普通" に驚くという
ことは何度も何度もあり、


とはいえ、そんなこと当たり前のことで、
頭ではわかっていた、
というか頭でだけ知っていたことが、
しっくり腹に落ちたという感覚を
体験しました。


いろんな考え方があるからねーと、
他者の考え方を容認するだけで
自分の考え方については、
心の中にいる「一般的」という評論家が
容認してあげれてなかった部分が
あったんだなーって。


無意識のうちに固定概念が決めていた
"私の普通" というのは、
誰の普通だったのかな、って。


そう思うと、これまでブレーキを
かけていた心の中の評論家?批判家?の
登場回数が減りそうな気がしました。



言葉がまとまりきれてないんですが、
この自分の心が「おぉ」となった感覚を
日記を通り越して、備忘録のように
書いておこうと思いました。



※こういうところで家みたいに座る人、
 それも普通じゃないと思ってた。
 海辺で遊んでいると、前のめりに
 なりすぎておしりまで入っていた人が
 スニーカーを濡らすだけになり、
 今回は全く濡れなくなっていました。

 とはいえ、かなり長時間、石を投げて
 その石に石を当てるということを
 している少年らしさは健在です。



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