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■17日くびき学園の同窓生でつくる「こぶし会」のメンバー10人で、幕末の石州口の戦いの舞台となった扇原関門を見学し、ご案内は益田市在住の郷土史家岩崎健先生にしていただきました。そのあと医光寺も見学して今日の見学会を滞りなく終えました。

■石州口の扇原関門は、浜田藩と津和野藩の境にあり、「是より北浜田領」「是より南津和野領」の標柱(写真)があります。そのほか番屋跡、両藩境界の土塁の跡、壮絶な死を遂げた岸静江国治の墓、説明看板などもあります。(写真)

■慶応2年(1866年)第2次長州戦争が始まり、長州軍は小倉口、大島口、芸州口、そして石州口のいわゆる四境戦争が始まり、石州口では関守、岸静江国治が長州軍の大軍を向こうに回し、配下の者を逃がし一人で立ち向かい壮絶な死を遂げたとされ、これをたたえた長州軍は岸静江国治を手厚く葬ったとされています。(写真)

■長州軍は3方に分かれ進軍し、益田川を挟んでの戦い、万福寺、医光寺などの戦いの跡、浜田市でも大麻山の戦い、周布川を挟んでの攻防が繰り広げられ、その史跡も残っており、歴史は浜田城自焼退城、明治維新へと進みます。ところで今年、浜田開府400年を迎え、この1年浜田市でもいろいろな行事が行われます。が、これら江戸時代浜田藩にまつわる遺跡などを、改めて市民で訪れる企画も必要です。