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■19日旧今福線の見学に行きました。これは、くにびき学園社会文化科22期生の仲間で「こぶし会」と名づけており、いろいろなところへ出かけており、今日は12人が参加しました。調べてみると旧今福線は、浜田と広島横川を結ぶ鉄道で、その時代、横川~可部間は開通していました。昭和8年に下府~今福間、可部~加計間が着工されました。

■昭和11年横川~安芸飯室間が開通したものの、昭和12年日中戦争が始まり、昭和15年には今福線、可部線とも工事が中止されました。戦後昭和29年に可部線が加計まで開通しました。高度経済成長が始まると、昭和43年下府~今福間が再び着工されました。ところが翌昭和44年には路線が変更され、起点が下府から浜田に変わりました。

■新線は、よりスピードが出せるようにカーブが少なくなり、特急で広島まで1時間で結ぶ計画であったようです。線路はそれまでのものが旧線、変更後が新線と呼ばれ、佐野町にある旧線と新線が交差する場所に立つと時代の移り変わり、歴史を感じさせます。可部線は昭和44年に三段峡まで開通し、昭和45年には、浜田~今福間の工事が着工されました。

■いよいよ昭和47年には今福~三段峡間が工事認可され、全線開通に目鼻がついたのも束の間、昭和55年になって今福線の工事が中止となったものです。第1次産業革命は蒸気機関車、第2次産業革命は電気、第3次産業革命はコンピュータとされていますが、この地方は今福線の工事が中止となった昭和55年まで第1次産業革命の残滓を引きずっていたことになります。