■前稿からの続き『・・・第2次幕長戦争は1866年6月7日大島口で戦火が切って落とされ、小倉口の総大将は高杉晋作です。石州口の戦いは6月16日開戦となり、参謀大村益次郎が指揮を執り、迎え撃つ幕府軍には福山藩、和歌山藩、松江藩、鳥取藩などの各藩が加わり、主に周布川の右岸側浜田寄りに布陣し、浜田藩は大麻山の中腹に陣取っていました。
■長州軍は益田の扇原関門で浜田藩の岸静江国治の壮絶な立ち往生で死を遂げたのを皮切りに東進し、益田川を挟んでの攻防、大麻山での攻防、周布川を挟んでの攻防、内村での攻防などで幕府軍を打ち破り、三隅、折居、周布、内村、長浜などを長州軍が進軍しており、周布の聖徳寺には長州軍の弾痕の跡が残っています。
■幕府軍の戦い方は足軽などともに一団となって戦う方法で、一方の長州軍は西洋式戦法で、陣営を大きく広げ大人数に見せ、山を登りまた駆け下り、物陰に隠れ素早く攻撃し、まるで猿のように神出鬼没な戦い方、組織的な戦い方で幕府軍を翻弄しました。銃の飛距離は長州軍のものが500m、幕府軍のものが100mと戦力にも大きな差がありました。
■吉田松陰の松下村塾で学んだのが高杉晋作で、高杉晋作こそ明治維新革命を成し遂げた立役者です。徳川幕藩体制が行き詰った幕末、1865年高杉晋作は、士農工商の身分を問わない騎兵隊を結成し幕府との戦いに決起します。
■時あたかも、高杉晋作ら長州藩士と騎兵隊の活躍を描いた演劇「動けば雷電の如く」が上演されます。
劇団はぐるま座による、12月16日(日)三隅中央会館での公演の準備を進めています。周布地区からも実行委員に入っていただいており、是非ご覧いただきますようご案内いたします。
■「動けば雷電の如く」公演は、明治維新を控えた幕末混乱のとき、高杉晋作らが決起しできた騎兵隊、大村益次郎率いる長州軍騎兵隊が駆け抜けたこの地方は、近代日本の夜明けの舞台であり、この郷土の歴史を振り返り、先人に想いを馳せるよい機会となります。』郷土誌「ひのあし」は近々発行されます。
■長州軍は益田の扇原関門で浜田藩の岸静江国治の壮絶な立ち往生で死を遂げたのを皮切りに東進し、益田川を挟んでの攻防、大麻山での攻防、周布川を挟んでの攻防、内村での攻防などで幕府軍を打ち破り、三隅、折居、周布、内村、長浜などを長州軍が進軍しており、周布の聖徳寺には長州軍の弾痕の跡が残っています。
■幕府軍の戦い方は足軽などともに一団となって戦う方法で、一方の長州軍は西洋式戦法で、陣営を大きく広げ大人数に見せ、山を登りまた駆け下り、物陰に隠れ素早く攻撃し、まるで猿のように神出鬼没な戦い方、組織的な戦い方で幕府軍を翻弄しました。銃の飛距離は長州軍のものが500m、幕府軍のものが100mと戦力にも大きな差がありました。
■吉田松陰の松下村塾で学んだのが高杉晋作で、高杉晋作こそ明治維新革命を成し遂げた立役者です。徳川幕藩体制が行き詰った幕末、1865年高杉晋作は、士農工商の身分を問わない騎兵隊を結成し幕府との戦いに決起します。
■時あたかも、高杉晋作ら長州藩士と騎兵隊の活躍を描いた演劇「動けば雷電の如く」が上演されます。
劇団はぐるま座による、12月16日(日)三隅中央会館での公演の準備を進めています。周布地区からも実行委員に入っていただいており、是非ご覧いただきますようご案内いたします。
■「動けば雷電の如く」公演は、明治維新を控えた幕末混乱のとき、高杉晋作らが決起しできた騎兵隊、大村益次郎率いる長州軍騎兵隊が駆け抜けたこの地方は、近代日本の夜明けの舞台であり、この郷土の歴史を振り返り、先人に想いを馳せるよい機会となります。』郷土誌「ひのあし」は近々発行されます。