いや~、7月も長かった。。。
最後の最後に風邪がぶりかえして、咳き込んでいたんですけどね。
8月になったのに涼しいですな。。
この間母と、叔母の家に行って腰紐をもらってきました。
涼しかったので、汗かかないで浴衣の練習をしてきました。
叔母は、お店をやっていたので、よく着物を着ていたんで、
ぎゅぎゅと着付けてくれました。(笑)
一番上の伯母もきて(母は4人姉妹の2番目、一番下は叔父)
女3人で、あーでもない、こーでもない話しと・・・
この時期でもあるけど、戦争中の話しを聞きます。
(伯母たちが集まった時は、聞くようにしているってこともあるけど)
この間は、おじいちゃんのパイの話しでしたね。
伯母が、
どこそこのアップルパイがおいしいと聞いたから食べてみたけど、
見た目はお父さんのに似ているから期待したけど、やっぱりおとうさんのが美味しかったわ。
と言っていました。
私が生まれる直前に亡くなったおじいちゃんは、
当時はまだ珍しいシェフでした。
(おじいちゃんの妹(母の伯母)は、「あなたは兄さんの生まれ変わり」と言ってくれた)
戦後、おじいいちゃんが米軍の将校クラブで働いていたときの話しを母からよく聞きます。
私が聞くというのもあるけど母は、戦争の話をけっこうしてくれるんです。
いつかまとめたいと思うですが、エピソードはいろいろあります。
親戚がいた横浜市旭区善部に疎開していた母は、
希望が丘の坂の上から、
横浜に向かう、途切れることのない米軍トラックを見て、米軍の大きさにおどろき、
その列を横切るのが大変だったといいましたね~
他には、
親戚の子に、いじめられたとか、食料の話しとか。
そして、、、
住宅街にある母の実家の門柱には、焼夷弾がかすった跡があっておどろいたそう。
焼夷弾は、門柱をかすって側溝に落ちたんで燃えなかったんだということ。
もし、かすったのが家側だったら・・・。
家の裏に高校があって、当時は弾薬庫になっていたんで
ひやひやしたとか。
長くなってしまった。。。
ので
おじいちゃんのパイの話しはつづく。。。