その後三嶋大明神は壬生御館に「あそこの土地に、戸田(へだ)というところの石を持ってきて築地をつくりたい」と言った。
すると御館は「たやすい事です。」と、昼は人目を避けて夜に入って船7艘で築地を作った。
こうして大明神の住居が出来上がった。
戸田とは、伊豆半島の西の北にある地(現・沼津市戸田)で、いわゆる「戸田石」の産地である。
ここから三宅島にまで石を運んだということなのだろう。
ただ、「あそこの土地(アレ成地)」というのがどこなのかがわからない。
大明神の住居があった富賀神社辺りだろうか。
ある時、大明神は若宮に「いつぞやここに渡ってきた時に取った鰹(カツオ)をまた取って来て欲しい」と言った。
若宮は「我々は神通力でいともたやすく取ることが出来ますが、末世を生きる者には、遥か沖でも、この島でも鰹を取ることは覚束ないでしょう。」と答えた。
大明神が「どのようでも、お前の思う通りに」と言ったので、若宮はその前の汀の石に渡って西の方を向き、手招いたところ、潮と共に鰹が群がってきた。
(絵は「道守」より)
大明神が「さあ取ろう。」と言ったところ、若宮は「壬生御館に取らせますのでご覧ください。」と答えた。
若宮と壬生御館は話し合って船を用意し、鹿の角に金属を細く曲げて麻の紐で竿につけたものを手に持って海へ投げ入れたところ、たちまち魚が食いついた。
大明神は西の御門からこれをご覧になった。
そうして船1艘分の魚を取ってきたので、若宮は島々の后や王子に魚を献上した。
三嶋大明神が鰹取りの講習会を開いたということは、三宅島にも伝わっている。
若宮が鰹を招いた汀の石というのは、阿古の富賀浜にある「御前丸島(おんんめまるしま)」(写真上)のことである。
また、その様子を大明神が眺めた「西の御門」というのも、富賀浜に鳥居が建っている場所である。
現在でも御前丸島では豊漁祈願が行なわれ、漁師がこの島に船をつけることは禁じられているという。
なお、若宮が壬生御館に伝えた釣りの方法と言うのは、疑似餌を用いるもので、いわゆるルアー釣りの元祖であったようだ。