ガラスの動物園
1月14日から1月16日@名古屋
日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール
岡田将生さんはやっぱり「嘆きの王子」哀しみもがき苦しむ姿がよく似合う。
前回の「物語なき、この世界。」は2公演分のチケットを取っていたけど1公演は関係者にコロナ感染者が出てしまった為に中止。
本当に残念だった
その想いもあるし、「ガラスの動物園」は名作だから何度観ても損は無いと思い3公演分購入。戯曲本も読み準備万端で観劇した。
「ガラスの動物園」は現在のトム(岡田将生さん)が追憶としてローラを軸に過去を振り返り語り物語は進んで行く。
主人公のトムは父親が家族を捨て「ハロー。グッドバイ!」してしまった為、唯一の男性で稼ぎ頭。母親のアマンダ(麻実れいさん)と足の少し不自由な姉のローラ(倉科カナさん)を支えていた。
若者特有の自由になりたい。家を出たいという閉塞感を抱えながらも自分が居なくなってしまったら?大好きなローラはどうなる?いつも口煩い母さんも……その葛藤で苦しみながら少しでも自由な気分になりたくて仕事中も詩を書いている。窮屈で未来のない家には居たく無くて毎夜映画館で時間を潰し儚い未来を想像する。
ある日トムは映画館から帰って来た後ローラに「ねぇ、ローラ、棺桶に入って釘付けになるぐらいならたいして知恵はいらんよね。だけど、そのなかから釘一本動かさずに抜け出すやつなんて、この世にいるだろうか?」
酔った勢いで、ずっと我慢して抑えていた思いを泣き出してしまいそうな切ない声でローラに吐露してしまう。それでもローラが大好きだから出て行きたいとは言えず、姉のローラに甘えるように優しい言い方になってしまう。
なんとも苦しい時間。胸を締め付けられる。
トムの不自由さ、ローラの申し訳無い思い。どちらもお互いを思い合っての事。
そんなトムに不意にチャンスが訪れる。
未来の無い退屈でどうしようもない工場で、唯一の友人ジム。彼をローラの夫に出来たら自分の後釜にピッタリだと思いつく。
ジムはハイスクール時代に皆から憧れの的だった。しかし、作者のテネシー•ウィリアムズはトムの事を普通の男としている。憧れの的だった人物を普通の人と。見た目もトムのが良いようだ。
ホワイトハウスには行けていないが、堅実に未来を見据えトムが退屈だと思っている場所で精一杯生きている。当にリアリスティックな人間で、他の登場人物と比べると普通の人、いや、まともな人なのであろう。
ローラにとってもジムは憧れの存在だった事をトムは知っていたのだろう。大好きなローラには幸せになって貰いたい。自分が居なくなってもジムならローラを幸せにしてくれると信じられる人物だったんだろう。
倉科カナさんのローラは、ガラスの動物達そのものと思わせる様な繊細で脆く儚い美しさを感じた。
岡田将生さんがカナ様って言いたくなるのも頷ける。
ガラスの動物達を思わせるローラの透き通る美しさ儚さに束の間の愛を感じたジムだが、やはり婚約者のベティを選んでしまう。
リアリスティックな人物で不実な事など出来ないまともで普通な人だから。
そんなジムを竪山隼太さんが少しオーバーな爽やかで無駄に明るい好青年を演じている。その為、ジムは他の3人より少し浮いた印象を受ける。それが3人とは違う世界にいる人。トムの言う生きる目標となる人物像を感じさせる。
ジムとの夢のような時間の後のローラの溢れ出る悲しみの涙が胸を打つ。
トムがアマンダと激しく言い争いをした時にガラスの動物達を壊してしまったように計らずもローラの心を壊してしまった。
ガラスの動物達はトム達家族。
夢の中で現実を見ずに、見ないように生きていた。
少しの衝撃で壊れてしまうギリギリの状態。
壊れてしまったらもう今迄の家族ではいられない。
泣き崩れるローラの隣に余りの罪悪感で謝る事も触れる事も出来ずただ寄り添う現在のトム。
最後の暗転になる直前、ローラにそっと微笑む。
パンフレットのインタビューで岡田将生さんは、「当初僕には「なぜわざわざ過去の傷を開くようなことをするんだろう。」という疑問がありました。でも稽古を重ねる内に、だんだんと腑に落ちてきた。時を経て風化されかけていた思い出を肉体的にも精神的にも成長した今の自分が見るとまた違う響きをもってよみがえるものだなと、僕自身、家族との思い出を振り返ってみて気づいたんです。」と語っている。
現在のトムはロングコートを着て常に咳き込んでいる。
アマンダの言う事を聞かずにタバコを吸い過ぎたんだろう。アマンダの口煩い言葉も懐かしくなるまでになり、ローラへの後悔も自身の成長と共に人生を振り返る思い出の1つとして捉える事がやっと出来るようになった。
だからこそ悲しみのローラの隣りで微笑みで受け止められたのだろう。ローラは元気にやっているのか、自立出来ているのか。それとも母親が孤軍奮闘して養っているのか。冷静に考えたらトムの稼ぎが無くなったしまったんだからどうにもならない所までいっているかもしれない。それでもトムは自身の息苦しさから逃れる方を選んだ。「ハロー。グッドバイ!」
大好きなローラを残して。
トムにとってローラがどれほど大切だったか。
舞台の冒頭、現在のトムが登場人物を紹介する時、「姉のローラ」だけ大切に名前を伝えている。それだけでローラが特別なんだと伝わる。
トムはジム同様キャラクター設定が明確ではない。「冷酷では無い」とだけ。
トムのおかれている状況をヤングケアラーだと捉えると古い作品も今の社会問題にグッと近づく。
そしてこのコロナ禍の閉塞感。様々な当たり前が無くなった。特に俳優さん達は自身の存在意義を考えてしまう程の辛い思いをされていたらしい。
そんな思いを経験された岡田将生さん。
トムのどうにもならない苦しさが岡田将生さん自身の苦しさに感じたりして余計に胸を打つ。
3日間それぞれ座席が違ったからかもしれないが、毎回トムの演技には変化を感じた。
岡田将生さんが考えるトムを毎日作り上げ挑戦していたのかもしれない。
狭い棺桶の中の様な息苦しさに悶えるトム。
それでも日々家族と仲良く過ごすように努力しているトム。ローラを愛しているトム。末っ子らしく甘えるトム。同じ様に毎回演じていても感情の盛り上がりは違うんだろう。
最終日はトムが出て行く時のドアのタイミングがずれていたり、岡田将生さんが冒頭で甘噛みしたり。「舞台は生き物」を少し体験出来た
父親が「ハロー。グッドバイ!」した事で自分がこの家に縛られ自由を奪われていたのに。自身も「ハロー。グッドバイ!」をしてしまったトム。「冷酷では無いけれど。」
トムは父親の事が好きだったんじゃ無いのか。
自由になった父親に憧れがあったのかも知れない。
家族にとって父親がどんな存在だったか、意外と語られていない。
家族を捨てたのにも関わらず未だに大切に写真を飾っているあたり意外にも好かれていたのかも知れない。
アマンダも夫の事を今でも愛しているのだろう。
麻実れいさん演じるアマンダは想像以上に甲高い声でトムとローラを統率している。愛を持って。本当かどうか分からない過去の煌びやかな思い出と共に。
「明るく元気に起きましょう。」
「明るく元気に生きましょう。」
トムが主演だが、アマンダの雰囲気でこの舞台は決まるのかもしれない。
実際は悲惨な状況なのにそれ程辛く、暗く感じ無いのは全てアマンダの力だろう。
トムもローラもアマンダも少しでも家族が幸せになるようにそれぞれ想っているのに違う方向を見ている。相手の為にならない切なさ。
誰か1人でも幸せになった人がいれば。
トムの最後の微笑みはそんな期待を感じさせる。
トムはテネシー•ウィリアムズ本人、姉のローラも実の姉とも言われている。
そう思いながら観ているとトムの微笑みはとても深く、とても愛を感じ余計に救いになる。
哀しみだけで終わらないで良かった
カーテンコールも勿論楽しみの一つ
いち早くスタンディングオベーション
勝手にまーくんと目が合ったって喜びました
コロナがまた物凄い勢いて流行って来ています。
キャスト、スタッフ全員誰一人、気を抜く事無く感染予防をしてくれていたお掛けで奇跡的に全国、全公演無事上演されました。
カンパニーの皆さんに感謝しかありません。
次回の岡田将生さんの舞台はどんな素敵な物になるか。とっても楽しみです。