最近、何人の方と「他人を下げて自分を上げる、承認欲求強すぎの人の話」をする機会がありました。
SNSなどで繰り広げられるマウンティングマウンテンに疲れちゃって、もういっさい同業者のものは見ていないという話です。
マウンティングマウンテンの出典はこれwww
「マウント取った後のランチは美味いかね?」が面白すぎ。
人の置かれた環境って色々あるし、その人の仕事に対するスタンス、幸せの定義も全然違うじゃないですか。
環境…都心/地方暮らし、独身/既婚、子あり/子なし、介護あり/介護なし、容姿良し/そうでない、家族の理解あり/なし、持ち家/1DK、資産あり/なし、持病・障がいあり/なし、等々
仕事のスタンス…バリバリやって有名になりたい、扶養の中で働きたい、地域の人に必要とされたい、とにかく儲けたい、等々
幸せの定義…仕事に忙殺されているのが幸せ、余暇が充分にあるのが幸せ、家族と過ごす時間がなるべく長いのが幸せ、お金が有り余るほどあるのが幸せ、1人で過ごす時間が取れるのが幸せ、多くの人に求められるのが幸せ、神様にお仕えできるのが幸せ、健康でいられれば幸せ…等々
だから「仕事量が多い、派手にメディアに露出している=しごでき(仕事ができる)」じゃないんですよ。
その辺を喧伝しているのを見ると「誰も褒めてくれないから自分で言うしかないのかなぁ…」と思ったりして共感性羞恥を感じたりしますが、そんなに不愉快なものではありません。
ただ、自分以外の人を劣っているか、馬鹿のように扱い、その対比として自分の優秀さを際立たせようとするのは非常に醜い行為だと思います。わたしは。
選んでその状況を作っている人も多くいるし、自分には想像もできない困難な環境にいて仕事をしている同業者もたくさんいます。馬鹿だからそうしているんじゃないんです。
また、自分への批判も全て嫉妬と扱うのも、そういう方々の典型的なパターンではないですか?
嫉妬じゃなくて、その想像力の欠如で普通に嫌われてるんじゃ?
例えば、何か華々しい功績をあげて
「◯◯をしました!!!」
→これは良い。すごいね、と普通に感心する。
「他に誰もやってません!!!」
→うーん、やりたくなくてやってない人もいるよ?
「みんなこれが出来ないなんて能力低いよね!!」
→いや、それあなたの感想だから
ってなると思うんですよ。それが想像できない?
(下に向けて知らんわレベルか上がっていきます)
聞いた話によると、そのマウンティングマウンテンの方々にも仕事上の欠点はあるんですよ。
ただ、人間は欠点も含めてその人らしいというか…つまり自分にも欠点があるように他人にも欠点があって
逆に言うと自分にも優れているところがあるように、他人にも優れているところがあって
どこにフォーカスするかで、その人の見え方って変わってくると思うんですよ。誰にだって欠点はありますからね。
例えばね
仕事はまぁまぁ最低限のことをやって定時に帰宅して、妻と協力し合って家事育児をするお父さん
とか、会社では「仕事への意欲低いなー」とか言われているかもしれないけれど、家族にとっては最高のお父さんかもしれないですよね。本人はそれをあえて選んでいるんですよ。
なんとなくですが、その辺の想像力が欠けているから、ある人のある一面だけを見て(今回のテーマは仕事マウンテンね)人間性全体が劣ってるとか優れてるとか言っちゃうんでしょうね。
共感性の欠如は我々の仕事には非常にダメージがありますから、マウンティングマウンテンの方もいつかその辺で壁に当たるかもしれませんね。お仕事は優れているのだから、その辺だけ良くなればもっと色々上手くいくと思うんですけどね。(でも欠点があるのは人間らしくて愛おしいと、私は思ったりもする)
そんなわけで、同業のお友達がSNSとかもういいや、と言い出して少し悲しい思いをしているわけです。
マウンティングマウンテンは私は面白いから見ますが、友達は気分が悪くなるから見たくないそうです。
誰も傷つけない物の書き方は誰にもできないのも事実ですが、実績を述べるにしても、問題提起をするにしても、これは誰を傷つけるものなのか、そしてその犠牲を押しても多くの人に届けるメリットがあるものなのか、を客観的に見ることは発信者の義務であると思います。
それにつけても
人間というのはいかにも不完全で愛おしいものです。
他人の不完全さを愛し、自分の未熟さを許容しましょう。
なんだか教祖みたくなってきましたwww 終わり。