東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・8
一旦示談契約なるものが成立したのに、なぜ途中で「永久示談契約」なるものへの変更がなされたのでしょう。
『通史足尾鉱毒事件』にはその理由も内容も、何一つ説明されていません。
しかし、想像すれば理由はすぐ分かります。
企業経営は、赤字が大きくなって収支のバランスが成り立たなくなれば破綻しますから、支払う側の加害企業は被害農民に支払う示談金を出来るだけ減らそうとします。
一方、被害者側は、当然のことながら出来るだけ多額の示談金をもらおうとします。
その結果、会社側は、「今後これ以上の要求をしない」という条件で、すでに契約した示談金よりも多額の金額を支払うという提案をし、受け取る側の農民はその方が有利だとわかればこの提案を呑むはずです。
こういう、きわめて当然の交渉が行われて、「永久示談契」なるものが実現したと考えられます。
にもかかわらず、著者は全く一方的、強制的に古河が永久示談契約を推進したと説明しているのです。
これは、明らかに虚偽説明です。
この本によれば、最初の示談契約では、「示談金額は(栃木県の場合)、1反歩平均1円70銭だった」ということです(6回目の記事を見てください)。
しかし、明治29年3月25日に国会に提出した質問書で、田中正造は「永久示談契約」に関して、「田畑1反歩に付き各3、4円宛ての金を与え、しかして爾後永遠苦情を申したてまじく旨の書類を認めて強制的に、これに捺印せしむるの処置をとれるもの」だ、記述しています。
正造は嘘ばかりついているのでこの数字も嘘だということが、この日の国会での演説で「人民に1反につき2、3円金をやるから、これで永世子々孫々まで苦情を言うなという書き付けを取り、判を強奪した」と発言していることからも、はっきりわかります。
彼の挙げる数字のいい加減さはともかく、「永久示談契約」の方が、受諾した農民にとってはるかに有利だったということは、これでよく分かります。
正造の発言は絶対信用できないという証拠をここで紹介しましょう。
彼はこれより1年前の明治28年3月16日の村山半宛の手紙には、次のように、金額を「5円以内」と書いているのです。
「鉱毒地方田畑1反につき5円以内を一時に恵与して、被害人より永世子孫に至るも、苦情がましき儀申し出まじく云々の証文を、古河市兵衛へ差し出す大干渉を、足利郡樺山郡長、旧梁田郡県会議長長真五郎、同長裕之、早川忠吾ら、皆古河の奴隷となり、番頭となり、手代となり、犬となり猫となり、被害村々運動、強いて調印奪取、日夜奔走中にて、足利、梁田村々中気弱な人々および小欲の人々、私利目前汲々の人々、この威嚇的利欲的の二途に迷いこまれ、すでに植野、界村まで侵入いたしたりとのこと」
田中正造が勝手に根拠もない作り話を、周りの人々にばらまいていたことも、これでよく分かると思います。嘘の話をでっち上げるほど簡単なことはないわけです。