正造の晩年の孤立・1 | 足尾鉱毒事件自由討論会

正造の晩年の孤立・1

正造が最後まで頼りにしていた人物は、「お金に困っている」といえば文句を言わずに融通してくれる逸見斧吉でした。


食品工業の世界では当時の大企業だった「逸見山陽堂」の社長で、社会主義者を応援していた変り種の金持ちです。


晩年の正造は、斧吉に宛てて頻繁に手紙を書いていますが、まるで日記をそのまま手紙にしたようになんでも報告しています。


それに対して、斧吉は時々返事を書いていますが、気を使いながらも、正造の言うことには納得がいかないという意志表示がしばしば顔を見せます。
そうした例を少し紹介していきましょう。


「神は愛なりとはキリストによりて顕われたる唯一の真理なりと感じ申し候。この愛、小生の中にも宿りおるに候えども、罪なる肉体にしばられて自ら殺しつつあるに候。まず大懺悔あらざるべからざると心得候。肉は益なしと信ずる心をもって肉に仕うる今の状態から改めずしては万事ダメと存じ候」(明治41年7月1日)


「先日ご恵投下さりし御書(手紙)、封状3通、葉書7通拝受致し候。・・・<宗教心の厚きもの普通人に同情少し云々>の御書、懸念に絶えず候。真に宗教心の厚きものは、普通、人に同情深かるべき理に候えば、御書は、好んで宗教を云々するもの、かえって同情に乏しとの風刺に候わんかと存じ候」


「思うに奸悪なる世態は人が意識して改革し得るものにはあらざるか。ただ真理の証明者として虐げられたる者に道を伝え、彼らのために祈るより他に、神におのれを委ねたる者の為し得る道は無きに候まじくか。かく考える時、いかにも、谷中問題に関係したる小生自身の傲慢なる動機を恥ずるのほかこれ無き候。小生は、ぜひとも谷中の人々に真に神を知らんとする熱心の湧き出でんことを祈る他なしと存じ候」(明治41年8月6日)