何のための河川調査か・13 | 足尾鉱毒事件自由討論会

何のための河川調査か・13

前新潟大学教授・大熊孝は、著書『利根川治水の変遷と水害』に、次のようにも記述しています。


「明治25年には、古河市兵衛が農民と紛鉱採集器の据付けを条件に、<永久に苦情申し上げ間敷く>を含む契約をとりかわしている」


少し解説を加えると、加害者責任を認めた古河市兵衛は、正造が鉱毒問題を帝国議会で取り上げた翌年から被害民と示談交渉を始め、示談金を支払う約束を次々と取り交わしていきました。

被害農民の数が多いので一人当たりにすれば金額はわずかですが、明治29年までに契約を終えた示談金の総額は、10万円(今の感覚では10億円)には相当したということです。


ところで、明治25年8月23日に栃木県梁田郡久野村の稲毛教次郎ら13名と交わした契約書には、次のように書いてあります。


第1条 古河市兵衛は、粉鉱の流出を防ぐために明治26年6月30日を期し、精巧な紛鉱採集器(公害防止設備)を足尾銅山の工場に設置する。


第2条 古河市兵衛は、徳義上示談金として、左のごとく支出する(内容省略)。


第3条 明治29年6月30日までは、紛鉱採集器の試験中のため、契約民は苦情を唱えたり、行政・司法の処分を乞うなどしてはいけない。


第4条 明治29年6月30日以降、紛鉱採集器がその効を奏したときは、この契約は解除される。


第5条 紛鉱採集器が万一効力がないときには、なお将来について臨機の協議を行い、別段の約定をする。 


 いったい、この示談契約書のどこに「永久に苦情を言わない」などと約定してあるのでしょう。

契約書の内容を確かめずに、正造側の書いたものを鵜呑みにしたから、こんな偽情報を読者に流したのです。


学者であり研究者で、ましてや科学の分野の学者ですから、確認することは不可欠の基本事項です。この契約書などは簡単に探すことが出来ます。何という怠慢な科学者なのでしょう。


実際、この紛鉱採集器なるものは効力がないことが分かり、被害民と古河の新たな交渉が始められましたが、その記録も残っています。