何のための河川調査か・12 | 足尾鉱毒事件自由討論会

何のための河川調査か・12

河川工学の専門家で、田中正造の言動をかなり無批判に受け入れている学者がいます。


それは、前新潟大学教授・大熊孝で、彼の著書『利根川治水の変遷と水害』(1981年)を見ると、その入れ込みぶりがよく分かります。


昭和17(1942)年生まれの大熊は、東京大学工学部土木工学科を卒業したあと大学院の博士課程を修了し、新潟大学に奉職して助教授・教授へと進んで定年退職していますが、今年(2008年)の3月1日にあった最終講義で、彼は次のように話しています。


「<利根川治水の変遷と水害>は、私のドクター論文です。これを書いて7年後に出版しましたが、これから20年経ってもまだ再版されているのは、まだ死んでいない本だと思う」


この本に相当愛着があるようですが、正造の吹いた法螺を全く疑わずに本当だと信じ、読者に嘘を教えていることから考えると、何とも無責任な学者だという感想を抱きます。


田中正造を信用して彼が流した偽情報を、この本を引用しながら検証していきましょう。


明治13年には、栃木県令(知事)藤川為親から渡良瀬川の魚の販売ならびにその食用を厳禁する通達が発せられる


しかし、これは田中正造がでっち上げた作り話で、大熊教授がこの本を出版した時には、この話が正造の虚言だったということが、すでに関係者の間ではよく知られていました。


そうでなくても、明治13年には、足尾銅山では銅の鉱脈が見つかっておらず、本格的な操業の段階にまで至っていないので、公害が発生するはずがありません。


足尾鉱毒事件の入門書を読んでも、新聞のニュースで明治17年の10月ごろから公害の記事が始まったことになっています。


学者でありながら、こういう基本的なことさえ調べずに、この著者は正造のついた嘘にだまされているわけです。