何のための河川調査か・11 | 足尾鉱毒事件自由討論会

何のための河川調査か・11


渡良瀬川改修計画にへの田中正造の反対理由は、前述したように、明治31年に関宿に鉄筋コンクリートの堤防を作って川幅を狭めたために、洪水が逆流することになったわけだから、この部分を拡げる以外に対策がない、というものでした。


しかし、正造のこの理論が科学的に正しいという根拠は何もありません。

洪水のメカニズムは複雑で、一人の人間が頭で考えられるほど単純ではないからです。

洪水が起こる時には、必ず逆流があるはずです。上流からはさまざまなものが流れてきますから、それが障害になってどこかで流れが滞り、当然のことながら逆流は起こります。

関宿の堤防もその原因になったでしょうが、これによってどの程度の逆流が起こったかも計測は不可能です。


明治41年3月25日、政府は、正造の友人である弁護士の花井卓蔵が提出した「利根川流域の被害に関する質問」(全30項目)に対し、具体的な回答書を提出しました。

それによれば、利根川、渡良瀬川、思川の明治39年と40年8月の最高水位などのデータを示しながら、正造の指摘する逆流に関して、例えば次のように説明しています。


「栗橋鉄橋柱脚の厚さは、総計13間4尺で、同所の川幅は257間1尺2寸である」(正造は、逆流原因として関宿の堤防と同時に東北本線の栗橋鉄橋を挙げていた)


「利根川筋においては、特に流水を阻害する事実は認められない」「利根川の洪水時において渡良瀬川の逆流は約2里、思川の逆流は約1里である」


「下都賀郡寒川村付近の浸水は、主として思川筋上流一部の無堤地から来るもので、川辺村の東端より来る逆流の結果ではない」


「4県の被害は逆流にのみ起因するものではない」


とても丁寧で分かりやすい説明ですが、これと比較すれば、正造の発言がいかに口からでまかせで、説得力を欠いたものかがよく分かるではありませんか。