何のための河川調査か・9 | 足尾鉱毒事件自由討論会

何のための河川調査か・9

ところで、単なる素人に過ぎない正造が、他に何の仕事もせず、河川調査なる名目で数年間も各地を渡り歩くきっかけになったその洪水は、実は渡良瀬川周辺だけではなく、日本全国に及ぶ大規模なものでした。


全集第12巻の解題は、朝日新聞を資料に使って次のように記しています。


「明治43年8月の大洪水は、8月上旬から東日本一帯に台風の余波による大雨が続き、関東各地で河川の氾濫や山崩れ、堤防決壊が相次ぎ、利根川、渡良瀬川、などに天明以来といわれる大水害をもたらした」


「それは全国的にも、東海、中信越、関東、東北の1府17県におよび、死者1048人、行方不明383人、家屋全半壊4817戸、同流失3856戸、浸水家屋44万3210戸、堤防決壊1922箇所、橋梁流落1578箇所、山岳崩壊901箇所、浸水面積27万9472町歩に達した」


いったい、これだけ大規模な災害をもたらした大自然の猛威なのに、河川・治水対策の欠陥がどこにあったかという超難問題を、素人がたった一人でどうやって調べることが出来るのでしょう。


専門家が何百人で調べても不可能ですから、出来るはずはありません。

その発言を読めばすぐ分かりますが、正造はそもそも、科学的な知識も判断力も分析力も全くない反理科系人間です。

にもかかわらず、分かったつもりになっているので始末が悪いのです。


しかも、文科系の学者たちは、正造を正義の味方と思い込み、彼の言うことを頭から信じてしまうので、もっと始末が悪いのです。