何のための河川調査か・6 | 足尾鉱毒事件自由討論会

何のための河川調査か・6

明治43年8月の大洪水以来頻繁に河川調査を始めたと書きましたが、正造はそれ以前に彼独自の治水論を持っていて、それを渡良瀬川改修計画反対の根拠にしていました。


ですから、改めて河川調査をする必要などないはずなのです。実際、政府の治水計画に反対する彼の理論的根拠は、終始変わらなかったのです。


彼の理論とは、渡良瀬川の洪水の原因は、この川自身の水勢にあるのではなく、その下流の利根川からの逆流にある、というものでした。


明治41年12月14日、「利根川治水の統一に関する意見書」に、すでに彼は次のように書いています。


「江戸川の河口、千葉県関宿においてセメント工事をもって堰堤を築き、河口を狭窄にして流水を妨害したるがために、利根川の洪水は丈余の水層を湛えるに至る。かつ、関宿以西の権現堂の阻害工事および栗橋の鉄橋・柱脚の障害などによって、思川、渡良瀬川に逆流し、栃木県南部の水量は普通洪水の上になお6,7尺を高め、沿岸村落の堤防はあるいは破壊し、あるいは河伯の暴逆をたくましうするは近年の変状なり」